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2004/10/31

ハレーズコメット

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1986年にタイトーから発表されたビデオゲームです。

この作品は理屈抜きで爽快感を味わえるゲームです。強制縦スクロールのシューティング物なのですが、内容としては何ら目新しい部分もなく、当時のグラフィックレベルから考えても貧弱な印象を受けざるを得ません。唯一アイディアらしいのは、画面上部から現れた敵を下方へ打ち逃してしまうと、画面外にある星が攻撃されたとする設定でダメージを受けてしまう事です。この価が100%になってもゲームオーバーとなります。

自機のパワーアップが極端過ぎるくらい上昇し、最強の状態になれば画面内をほぼ全てカバーし得るほどの弾量を発する事が出来ます。弾のグラフィックが透明感のある緑色で統一されている事と、敵破壊音よりも自機弾の発射音にボリュームが割かれている事で、非常にシャープなゲーム性を提供してくれています。

当初の印象としては面白いけれども独創性に欠けるタイトーらしいゲームだなと思いました。後日知ったのですが、このゲームの作者はMTJ氏だったそうです。「バブルボブル」「レインボーアイランド」「サイバリオン」等オリジナリティー溢れるゲームで有名な氏でしたので、これは非常に意外な事実でした。また当時のタイトー社長に「ギャラガを作れ」と命令されたと云う事も雑誌で読んだ記憶があります。「ハレーズコメット」と云うタイトルもハレー彗星の飛来年だったから付けられた安易なものでしょう。

この話を聞いた後で思ったのですが、本作には或る種の妥協が存在しているのではないでしょうか。
抗えない社長命令のもと「ギャラガ」に見えなければならないゲーム作りを余儀なくされたMTJ氏は、どうにか独創性を盛り込もうと腐心したのですが、発句が類似ゲーム作成である為にモチベーションも上がらない。その結果どうせなら面白いだけのゲームを作って見ようと開き直った……こんな感じではなかったかと想像します。

元来システマティックなゲームシステムを構築する技術に長けていた氏ですので、そうした妥協の元でも本作は十分に楽しめるゲームへと仕上がっています。自機の強さを或る程度無効にする敵の攻撃方法などにその一端を見出す事が出来ますね。
優秀な人材であれば独創性を無視された土壌でも力を発揮する事が可能だとも教えてくれる教材として、本作は語り継がれる意味を持っているのではないかと考えます。

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2004/10/30

グラジエーター

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横山宏さんのデザインした四足歩行戦車をガレージキットメーカーであるボムフォル&チオネル社が販売していたものです。

購入制作したのは今から3年以上前ですので現在は残念ながら入手出来ないと思います。
模型をお作りにならない方にはガレージキットと云う言葉も初耳なのではないでしょうか。簡単に説明すると、バンダイやタミヤと云った大手メーカーが製造していない造形物を、個人の手によって作成販売している商品と云ったものです。音楽業界に例えるとインディーズレーベルですね。

プラモデルは一つの商品の型を作るまでに数千万から億の資金がかかるそうなのですが、ガレージキットは全ての作業を基本的には個人で行なう為に多くの元手を必要としません。シリコンの型を作りレジンと云う素材(歯医者さんでよく使われています)で複製して販売するのです。
しかしコストパフォーマンスが低いので通常プラモデルの10倍近い値段となってしまいます。写真のグラジエーターは¥16800でした。イベントなどの数日間にしか購入出来ない事もあり、買い逃したら二度と出会えない貴重品でもあります。

そうして運良く購入出来たとしても、制作する為には多大な労力とかなりのスキルが要求されます。ガンプラのように親切な説明書もなければ、商品はただバラバラの状態で袋詰めされている事が殆どです。どこの部品なのか分からなかったり、大事な部品が梱包されてなかったりする場合も少なくありません。

わざわざ高いお金で苦労を買うようなものだと思われるかも知れませんが、趣味の興が盛り上がって来るとどうしても欲求が募ってしまうもので、このような商品を購入したくなってしまうんですよね。

特にこのグラジエーターは「SF3D」ファンのトラウマとも云える商品なのです。20年前の当時発売のアナウンスがされていながら、発売元である日東が潰れてしまった為にお蔵入りとなってしまったのが原因です。
私は地方在住である為にイベントへは行けませんでしたから、ガレージキットを扱う都内の模型屋さんを虱潰しに調べた結果で以てこの商品を購入しました。

買うのは勿論作る事にも甚大な労力を使わされた訳ですが、漸く20年前の傷が癒されたような感じに安堵感を憶えた次第です。
しかし「SF3D」にはまだ癒されていないトラウマが多く残っているので、これからも時間を掛けて自らの心を補完して行きたいと思っています。

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サイドアームズ

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1986年にカプコンから発売されたビデオゲームです。

ゲーム内容は強制横スクロールのシューティング物ですが面に依っては上下方向にもスクロールします。
同社「セクションZ」のように左右への打ち分けを可能としている点が特徴で、不評だった方向転換のシステムに改良が加えられています。
コンパネの並びから云うと、左方向攻撃ボタン、右方向攻撃ボタン、武器選択ボタン。と3個のボタンを使用します。
自機の向きに関係なく、左ボタンを押すと左方向へ攻撃し、右ボタンを押せば右方向へと攻撃しますので、感覚的に打ち分けがやり易くなったと云えるでしょう。「セクションZ」にあった方向転換時の煩雑さは解消されました。これはとても良く出来たシステムですね。
しかし方向転換と云うシステムを単純簡略化した為か、左右へ打ち分けしていると云う感覚が希薄になっているように思います。
面構成や敵の出現攻撃パターンも打ち分けを意識させるようには作られていません。唯一自機の円周を移動するムカデのような敵だけが、独特の操作方法を効果的にしている程度ですね。
感想としては極めて普通のシューティングゲームとしか見えません。

もうひとつの武器選択ボタンも消化不良気味のシステムを助長している感があります。
武器は5種類ありそれぞれ特徴を異にするのですが、効果的な武器が2種類と限られているので蛇足感しか提供しません。グラディウス以降に出来たパワーアップシステムの流行を無理に採用しただけと云えるでしょう。
左右への打ち分けをメインとするならば、無駄にボタン数を増やす意味もなかったと思われます。

当時のカプコンゲームと比較すると難度が低かった事もあり、世界観がガンダムとリンクしているのでユーザーへの受けは良かったと思います。決して詰まらないゲームでもありません。
ただ、このゲームも「セクションZ」同様に折角のシステムを活かし切れなかった勿体ないゲームだと云う印象は拭えません。
これ以降カプコンは新しい通常インターフェイスでの操作系統開発を放棄してしまったので、「セクションZ」から始まった左右への打ち分けシステムも未完成のままに終わってしまいました。

このゲームもビデオゲームの転換期に生じた徒花だったと云えるのかも知れませんね。

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2004/10/29

セクションZ

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1985年にカプコンから発売されたビデオゲームです。

当時破竹の勢いを続けていたカプコンでしたが、その中にあって本作はひと際地味な存在であり特に支持される事もなく消えて行った幻のゲームだと云えます。

ゲーム内容は強制スクロールのシューティング物で、一面では右へスクロールし、以降、上、左、下、右と螺旋状に進んで行く事となります。スタート地点がAで最終地点がZです。単純ではありますが良いタイトルセンスと云えるのではないでしょうか。最後には何かが待ち構えていると思わせてくれますね。

このゲームの特徴は自機の操作方法にあります。8方向レバーで移動、攻撃はショットボタンとここまでは普通なのですが、もうひとつ方向転換ボタンが付いています。これで自機の向きを変え敵に対応して行くと云う仕様です。
自機の移動方向とその攻撃方向とは常に矛盾するゲームシステムの懸案と云えるでしょう。攻撃する為にはリスクを覚悟して敵の方へ向かなければならない。避ける為には敵に背を向けているので攻撃出来ない…。これがデジタルな入力しか認識出来ないジョイスティックの限界です。そして、これを打破しようと古くから様々なアイディアを提案していたのが米アタリ社です。ひとつの完成を見たのが「ブラックウィドウ(82)」だと云えます。このゲームでは2本のレバーを用意して右は自機の移動、左がショットの方向に割り振られています。同様な方式を採用したものには米ウィリアムズ社の「ロボトロン2084(82)」があります。このアイディアにより移動と攻撃の矛盾は解消されたかのように思えたのですが、複雑な判断をプレイヤーに強いる為か難度が上昇し、受け入れ難い感を与えました。またレバー2本と云うところもオペレーター側からすると導入し難い印象があったでしょう。
一見素晴らしいアイディアにも思えるツインレバー操作なのですが、もうひとつ重大な欠陥も含有していました。それはゲーム本来のルールから逸脱し掛けそうな感覚です。
インベーダー以降ゼビウスなどのシューティングゲームは常に1方向への攻撃をルールとして義務付けられて来ました。これが制約となって働いたが為にゲームらしさと云う面白さを提供していたのです。誰もが認めて疑わないゲームシステムの準縄であったと云えるでしょう。

「セクションZ」が狙ったのは当然と思われているシステムの間隙を付いた独創性だと思われます。自機が人間の形でデザインされていますので、方向転換する事には絵的な矛盾を感じられません。あとは方向転換を有効にするステージ構成などを考えれば良いだけなのですが、本作はこの部分で失敗しています。
結局はただ左右から敵が出現するだけで折角のシステムを活かし切れていないのです。後半の面ではそれなりの仕掛けが用意されているので多少の面白さを感じられないでもないのですが、それでも凡庸なゲームからは脱していないと云えるでしょう。もう少し練り込まれていればと思わせる本当に惜しいゲームです。

しかしカプコンはこの翌年に「セクションZ」の失敗を踏まえて操作システムに改良を加えた「サイドアームズ」を発表する事になるのです。

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2004/10/28

スペランカー

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1986年にアイレムから発売されたビデオゲームです。

米ブローダーバンド社からの翻案物ですが、アーケード版よりも先に移植されたファミコン版の方が有名ですね。
内容は地底探検物で様々な罠をかい潜り謎を解きつつ最下層にある財宝を奪取すると云うものになっています。
ファミコン版では極端にシビアな操作を要求されましたが、本作ではタイマーを兼ねた体力制となっているので難易度としてはかなり易しくなっているのが大きな違いです。ゲームとしてはじっくりと腰を落ち着けて遊べる良作と云えるでしょう。

しかし大抵の方はファミコン版から遊んでいた筈ですので、アーケード版の緩慢な展開と妙に明るいグラフィック、脳天気なサウンドにギャップを感じたのではないでしょうか。
ファミコン版はその理不尽にも近い難度の高さからクソゲーと呼ばれる事も多いのですが、故意に棘を抜いた本作を遊んでいると、あの焦り焦りとした緊張感が尊いものに思えて来るから不思議です。
「スペランカー」と云う名前だけで別物と思えば良いだけの話なのですが、オリジナルには存在した毒を少しでも残して置いた方が良かったのではないかと思ってしまいます。
そうするとファミコン版は独特の個性を前面に掲げた名作だったかのような気がして来ますね。

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2004/10/27

ドラゴンクエストⅤ - 天空の花嫁

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1992年にスーパーファミコンで発売された天空シリーズの第1弾で、今年の3月にプレイステーション2版としてリメイクされました。

個人的にドラクエシリーズはロト3部作以降はシステムの細かい改良はあるものの、ストーリーが複雑化して行く事で矛盾ばかりが目立ち出した駄作だと思っているのですが、今回のリメイク作品は色々と刮目すべき点を持つ良作だと感じました。

物語としてはオリジナル版と殆ど相違していないようなので特別書く事もないのですが、システム回りの改良が非常に良く出来ています。
先ず世界フィールドの表現方法が面白いと思いました。視点が俯瞰よりもやや寝かせた位置に設定されているので遠くの景色が程度良く見渡せるようになっています。そして地平線が丸みを帯びているのです。これはポリゴンで作成された地形を画面の端で拡大縮小しているのだと思うのですが、独特な移動感覚を提供してくれています。この部分を見るだけでも買う価値があるのではないかと思わせるほどです。

戦闘シーンはコマンドの結果がアニメーションで表示されるのですが、前のコマンドの尻と次のコマンドの頭を干渉させる事で無駄な時間を省き、テンポよく進ませるよう工夫されています。
この手のアニメーションは制作者のエゴを強く感じさせる事も多々あるのですが、ユーザーへの配慮を最優先しているのは流石ドラクエシリーズだなと感じました。
テンポが早過ぎてコマンドの結果が分かり難いと思える事もあるくらいです。しかし経験値稼ぎのあるゲームですので丁度良い按配なのかも知れませんね。

DVD-ROMをメディアとして採用した事で音楽がフルオーケストラで演奏されているところもファンには嬉しい限りです。

ただ難易度がオリジナルと比較して少し簡単過ぎるのではないかとも感じました。
簡単になった理由は戦闘のテンポが上がった事と、戦闘に参加出来る仲間の人数が一人増えた為だと思います。それ以外では最近のドラクエには欠かせない存在となった四次元ポケット「袋」が導入されたからですね。
もともとオリジナルのドラクエⅤはゲームバランスに難のあった方ですので、今回リメイクする際に調整がなされたのでしょう。ここは人に依って評価の分かれるところだとは思います。

でも戦闘の面白いRPGは文句なしに楽しいですね。久し振りに家庭用のゲームをクリアするまで遊び込んでしまいました。これがリメイク作品でなければもっと楽しめた事でしょう。子供の頃にゲームをクリアした後で、このゲームの記憶だけ都合よく忘れてしまえないかなと真面目に考えたものです。
リメイク作品だけれどもそう思わせないだけの力と新鮮さを持っているドラクエⅤですので、ゲームから疎遠になってしまった大人の方に是非とも遊んで欲しいと思います。ドラクエⅧのボーナスディスクも次作への期待を大きく膨らませてくれる内容を持つ素晴らしいものとなっていますよ。

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2004/10/26

グラディウス

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1985年にコナミから発売されたビデオゲームです。

この作品もゲームの歴史を語る際に外す事の出来ない名作です。
私が初めてグラディウスを見た時の感想は、何がなんだか分からないゲームだと云うものでした。
先ずボタンが3個もある事に戸惑いました。当時のゲームは多くても2個、大概は1個で全てを賄っていたのです。米国のアタリゲームには無闇にボタン数が多いものもありましたが、海外製品なので例外として受け取っていました。
ボタンの配置は左からショット、ミサイル、パワーアップとなっているのですが、ゲームスタート時にはショットのみが使用可能となっています。インストカードにはパワーアップと書いてあるけれど何回押しても自機が強くなって行く気配がありません。ミサイルボタンも同様で何回押しても反応がないのです。
暫く遊んでいる内に、敵を倒した際に現れるカプセルを拾うと画面下にあるゲージが動いて行くと云うシステムを理解出来ましたが、自機を操作しているのにゲージを見る余裕などないのではないかと憤慨しました。それでも美しいグラフィックと透明感のある音楽に誘われて遊んで行くと、徐々にグラディウスの持つ独特な世界観に魅了されてゲーム内容も判然として来ました。

当時斬新であったグラディウスの特徴を箇条書きして見ます。
●それまでになかった複雑なパワーアップシステム。
●自機と全く同じ性能を持つオプションを4個まで付けられる。そのオプションは自機が移動した際の軌道に沿って動き、自機の停止とともにその場で固定される。しかも当たり判定を持たないので無敵。
●自機から斜め下に向けて発射されるミサイルの攻撃力が異様に高い。その威力はショットのみでは十発近く当てなければ倒せない基地でも一発で破壊可能なほど。そして地形に沿って上下にも移動可能。
●ベクタースキャンのようなグラフィックのレーザーが表現として新しかった。レーザーは自機の動きに合わせて発射された後も移動するので独特な感覚も提供していた。当たり判定も見た目以上に広く触れていない敵まで倒せる。
●バリアの耐久力が異様に高い。壊せない障害物に触れる事で急激に減少するが、耐久力のない敵、及び敵弾に対しては無敵に近い強さを誇る。しかし前方からのみ。
●全7面。それぞれが全く異なった美術で構成されている。しかも何れもがそれまでにない斬新な物となっている。火山。モアイ。触手。アメーバ。要塞など。流れとしては、道中、イベント、ボスと進みます。
●パワーアップする事で難度が高くなって行く。また時間経過に依っても同様。
●自機がやられてパワーアップがなくなると絶望的にならざるを得ないほどゲームが難しくなる。

いま思い返して見ただけでもこれくらいはあります。自機がパワーアップして行くと云う点にかなりの比重が掛けられているのが分かります。極端なほど強くなって行きますがその分敵も強くなります。主に弾が多く発射されるようになるのですが、制作者が考えたほどの均衡は取れていないと云えます。

以後発売される続編のグラディウスⅡでは、ミサイルも弱くなり、バリアも絶対的な強さを持ちません。難易度としても死亡即ゲームオーバーとなるほど辛くもありません。しかし、グラディウスの持つ不思議な魅力が隠されているのはこのアンバランスさの中だと思われます。
私の独断なのですが、初代グラディウスのゲーム性とは意図して作られた物ではないのではないでしょうか。
企画者は新しいバブルシステムと云うハード上で実現出来そうなアイディアを紙の上で羅列して行き、実際にプログラム化された事によって、初めてグラディウスと云う名作が偶然完成したように思えるのです。
云うなれば企画自体はかなり取り止めのない物だったけれどもプログラマーが上手く纏めたに過ぎない…。

このように考えた理由は幾つかあるのですが、この当時(現在もですが)ゲームシステムから生ずるゲーム性と云う物を理解して作り出せる企画者が殆どいなかったと思えるからです。
これが出来ていたのはナムコにいた一部のゲームデザイナーだけだと云えるでしょう。そのナムコも時代の複雑さに押し流されて本来を見失って行くのですが…。
コナミはタイトーとよく似ているメーカーで粗製濫造の中から原石が生まれたら幸運だみたいな方針を持っていますよね。狙ってヒット作品を作れない理由もここにあると思われます。

グラディウスとはまさしくハードの切り替わる時期に偶然現れた珠玉の名作だったのではないでしょうか。だからと云ってグラディウスの価値が下がるものでもありません。脈々と受け継がれた遺伝子は20年近く経た現在にもそこかしこに見出だす事が出来るほどです。
しかしグラディウスのような不思議な魅力を不均衡で以て表現するゲームは未だ現れていないのも本当でしょう。制作者の予期し得ない物だからこその掴み切れない斬新がそこにはあったのです。

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2004/10/24

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1985年に公開された黒澤明監督の27作目の映画です。

私が初めてリアルタイムで見た黒澤作品です。
それ以前から黒澤明が世界的な映画監督であると云う話はよく耳に挟むところでした。しかし未だ黒澤作品に触れた事のない私には何を以て世界的とするのかが理解出来ませんでした。
それどころか日本人が世界で評価されていると云う事実が不思議に思えて仕方がなかったのです。
当時の私は米国人が最も優秀で日本人は限りなく劣等なものだと信じていました。何故そう思っていたのかは判然としませんが、それまで生きて来た中での風潮と教育が原因であったと今では考えられます。

そのような疑問を抱えたまま「乱」を鑑賞しました。
160分の映画を見終わった私の胸中は言葉でなど表現し尽くせない感動と興奮で満ち溢れて、暫くは身動きも取れないほどでした。
同年代の中にあってはかなり多くの映画を見ていたと自負していたのですが、このような感動を受けたのは勿論初めてであり以後二度と経験する事はないだろうとさえ思えました。

「乱」の何がそれほどまでの感動を提供したのかと問われれば簡潔に答える事が出来ます。
「完成度」この一言に尽きます。
「乱」は全てが完璧に出来上がっていて破綻を感じさせなかったのです。ハリウッド映画で育った私は常に作劇上の嘘を感じてはいたものの娯楽と云う性質に妥協して今迄を過ごしていたのでしょう。
映画とは楽しめる事だけを前提とした虚構である。全ては「乱」に覆されました。それこそ価値観の崩壊とも云える衝撃を総身に浴びせかけられたのです。

ここから黒澤明を追い求める長い旅が始まりました。先ずは全作品を見る必要に駆られて、地元にある殆どのレンタルビデオ店に通う事としました。廃盤になったビデオは古本屋で探しました。序でに黒澤明の記事が載っているキネマ旬報も扱いの大小に関わらず買い漁りました。地方の団体が催す映画上映会にも出掛ける事を厭いませんでした。また黒澤明が見たとされる映画、読んだと聞いた書物も自らの物にしようと躍起になりました。

随分な労力を使ったのですが、'90年初頭に東宝が黒澤明の全作品をビデオ化するまで長く褒賞は得られませんでした。ただ私は大事な物を得た事実に気付きました。それは自らの行動力です。それまでの私は飽きっぽい性格もあって物事に拘泥すると云う事がありませんでした。しかし、そんな薄弱な人間でも夢中になりさえすれば前後もなく行動出来るのだと身を以て知ったのです。

私は幼い頃に父親を失っているので、その代わりに男と云うものを教育してくれたのは黒澤明だと今でも思っています。
白黒時代の黒澤映画からは強い男の在り方を学び、カラーになってからは男の弱さと悲しさを教育されました。黒澤明本人からも「駄目なものは駄目、良いものは良い」と云う態度を授かりました。

私の人間形成の大なるところを担う黒澤明との出会いを提供してくれた「乱」は作品の完成度とはまた別の次元で私にとって最も偉大なお気に入りだと云えるのです。

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2004/10/23

アウトラン

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1986年にアーケードゲームとして発売されたセガの体感ゲームです。

この作品もビデオゲームの歴史上に偉大なる節を作り上げた名作として語り継がれています。
車を操縦するものはそれまでレースゲームと云う名で一括りにされていましたが、アウトランはドライブゲームと云う名称で細分化され1ジャンルを築き上げました。

車ゲームは或る種スポーツ物と同様にルールが固定されていて、ハードの特性以外に差別化を図る事が難しいジャンルだと思われていた感があります。今でこそ当然のようにあるタイムアタックもその当時は明確な遊び方として定着されておらず、障害物としてのCPUカーを抜いて順位を上げて行く事だけが本道とされていました。
プレイヤーにタイム短縮を宿題として呈示したのもアウトランの持つ功績の大きなところです。

アウトランと云って先ず思い浮かぶのが真紅のフェラーリ・テスタロッサを自機とした点です。これより以前のゲームはF1カーをモチーフとしたものが殆どでした。そのような競技用を意識した曖昧なデザインの中に、実車を思わせるフェラーリの自機が動く筐体とともに突然現れたのですから非常に衝撃的たり得たのです。当時はフェラーリともテスタロッサとも明言はされていませんでしたが、それ以外の車には見えませんので結果としては同様だったとしか云えませんね。

これ以外にレースゲームとして新しかったのは、ゲームスタート時にBGMを3種類の中から選択出来る事でした。いずれも曲調の違う中から気分に合わせて選択すると云う行為は、これだけでゲームの単調化を防ぐ効果を持っていました。
面クリア時にコースが分岐する仕様もプレイヤーを飽きさせない工夫として機能しています。初心者は自分がクリア出来そうなコースをプレイ毎に探せますし、また不得手な面を避ける事も出来ます。上級者は全面クリア後の新しい目標として選択の余地を与えられるのです。
それぞれの面が視覚的に違う印象を構築している点も見逃せない部分です。

それまでのレースゲームでは他の車が即ち敵でしたが、アウトランでは邪魔になりはすれど敵と云う概念では存在していません。ワーゲンやコルベットが一般道を走っているだけなのです。トラックが幅寄せして来るのはお約束とも云えるでしょうしね。
内容はテスタロッサの助手席に乗る彼女との高速ドライブと説明するのが妥当なところでしょう。オープンカーと云う事も相俟って開放感があり、ハードの力とテスタロッサの動きに連動する筐体が疾走感を提供してくれます。
ストイックなレースゲームをスポーティッシュに変化させたのがアウトランの持つ最大の功績だと思います。

現実では味わえない快感をゲーム的に大袈裟な仕様で表現したアウトランですが、細部のリアルさを飽くまで追求しています。タコメーターとギアの連動、車の挙動などは当時かなり本物を意識させてくれましたし、ブレーキを踏むと画面内のテスタロッサのブレーキランプも点灯します。このようなゲームはそれまでに皆無だったのです。いまでは信じられないような事ですが、以前のゲームでは他の車に接触すると即爆発クラッシュすると云うのがゲームとしての当たり前でした。プロデューサーである鈴木裕さんはそのような非現実を嫌ってか、体感ゲームの第1弾である「ハングオン」から他車に接触しても速度に応じて弾かれると云う仕様を開発してアウトランでも採用しています。

現在の目でアウトランを遊んで見ての感想。ポリゴンのレースゲームが本物に近い立体を提供している昨今からすれば、前時代的なラスタースクロールを使用してコースを描画しているアウトランからは理不尽な感じを受けてしまいます。しかし、ハンドルを大きく切って急カーブを曲がり続けるダイナミックなゲーム性は、リアル志向だけを正義とする今のゲームへの提案と警鐘を鳴らしているようにも思えました。ゲーム本来の面白さとはどこにあるべきなのかを考えさせてくれるアウトランは隔世を経て今尚名作と呼べるのではないでしょうか。

X-BOXで発売の予定されている「アウトラン2」にはオリジナルアウトラン他、「ラッドモービル」などのセガ・レースゲームが収録されているそうです。普段虐げられているX-BOXユーザーには吉報と云えますね。

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2004/10/22

スペースハリアー

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1985年の年末にセガより発売された体感ビデオゲームです。

リアルタイムでこの作品を見た方は皆同様な感想をお持ちだと思うのですが、背筋が凍るほどの本当に衝撃的なゲームでした。
ビデオゲームに本物の生きた3次元を初めて持ち込んだゲームだと云えるでしょう。現在のポリゴン全盛の時代にあって本物の3Dと云えば嘘になりますが、ハードの力で多数のスプライトを拡大縮小する事に依り擬似的な立体感を巧みに表現していたのです。
ゲーム内容はリアビューのシンプルな3Dシューティングと云えますが、高速で迫り来る背景と主人公ハリアーの動きに連動して前後左右に傾く筐体〈ローリングシート〉、当時貴重だったFM音源によるBGM、ファンタジーとメカを折衷させた世界観とでプレイするユーザーを飽きさせませんでした。
操作性も抜群に良く、それまでの3Dゲームにあった重苦しさとは無縁の軽やかなものでした。また主人公の攻撃する弾も或る程度は敵に向かって飛ぶので、遠くの敵に当たらないと云うストレスも提供しません。
敵の攻撃は常に主人公に向けて発射されるので、画面上を大きな円を描くように移動すれば絶対にやられる事はないのですが、それではゲームになりませんから破壊不能な障害物があり、それを避ける為に円運動の大きさや切り返しを考えなければならない攻略法も斬新でした。

何もかもが新しく見える本ゲームはビデオゲームの新時代を開くに相応しい作品でした。
セガの体感ゲームは「ハングオン」に始まり、「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」と大ヒットを連発し快進撃を我が物としました。何れもバーチャファイターでお馴染みの鈴木裕さんのプロデュース作品です。

これだけの素晴らしさを持った「スペースハリアー」ですが、現在の目で見てしまうと凡庸なゲームに見えてしまうのはハード優先型の作品の宿命であるとすれば致し方ないところでしょう。
しかし、ゲーム性と云う点で見れば今でも十分に楽しめる作品である事には相違ありませんので、機会があれば是非遊んで欲しいゲームだと思います。

最近プレイステーション2で発売された「SEGA AGES スペースハリアー」はアレンジ版のみでオリジナルが収録されていないようです。これでは誰に向けられて開発されたゲームなのか分かりませんね。残念です。

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2004/10/21

ビジランテ

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1988年にアイレムから発売されたビデオゲームです。

スパルタンXの続編と云う位置付けで発表された作品なのですが、オペレーターからもユーザーにも支持を得られず短命で終わる事となりました。
内容はまさしくスパルタンXを踏襲したものとなっています。しかし残念な事にゲーム性が退化しているのです。

スパルタンXは発売以後様々な亜流ゲームを生み続けました。システムはそのままにグラフィックのみを書き換えたコナミの「グリーベレー」などを始めとして、ハードの性能が上がるとシステムまでも発展させたカプコンの「魔界村」のような新機軸まで生み出して行ったのです。
発明者であるアイレムはその間まったく進展もなく拱手していたかのようでした。そうして'87年に「R-TYPE」を発売し爆発的なヒット作品とすると、その企画者を中心として斬新な良作を幾つも発表し始めました。アイレムの最盛期です。
当然の如くアイレム作品の需要がオペレーター側とユーザーから高まりました。そんな中にあって過去最大のヒット作であるスパルタンXの続編が企画されたのではないでしょうか。

しかし出来上がったゲームは無惨なものでした。見るべきところは中間色をレンダリングのように使用したグラフィックのみで、オリジナルにあったゲーム的な戦略性と爽快感は皆無に等しいと云える出来映えだったのです。

ゲームと云うものは先ず紙の上で企画として立案されます。ビジランテの場合はスパルタンXのシステムで、主人公にアイテムであるヌンチャクを持たせてパワーアップさせよう、敵キャラクターの種類も豊富にして様々な動きを加えよう…などと進行して行ったと考えられます。しかし、これは云って見れば蛇足を増やす為だけに行われた企画だったのではないでしょうか。
企画者がスパルタンXが本来持っていたシステム上の利点を理解していないばかりに、その良い部分を消化せずに消火してしまったのです。

現在のゲーム開発はプロデューサーシステムが確立されているので、企画者の方向を矯正し本来の道を指し示してあげる事も出来るのですが、当時はまだ企画者がゲームデザインとプロデューサーの役割を担っていたと思われます。個人的にはプロデューサー主体の開発には懐疑する部分もあるのですが、一般的に見れば機能する事を前提として必要な開発システムだと考えられます。
アイレムには「R-TYPE」を企画した優秀なゲームデザイナーが存在していましたが、'80年後半以降ヒット作を量産するまでには至りませんでした。ここに一人優秀なプロデューサーが開発を操舵していれば結果も変わっていたのではないでしょうか。

話が逸れてしまった感もありますが、「ビジランテ」他の改悪された続編を遊ぶ度にこのような所感を持ってしまいます。

最後に上の写真は最終面のボスなのですが、妙に股間がもっこりしているのが気になりますね。

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2004/10/20

暗夜行路

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短編小説で有名な志賀直哉唯一の長編物で、大正10年から連載が始まり紆余曲折を経て昭和12年に完成した日本文学史に残る名作です。

この作品を一言で説明するならば、「運命の徒に翻弄されるべく産み落とされた一人の男が辿る精神史」と云えるでしょう。
主人公である時任謙作は、祖父と実母の間に生を受けたと云う呪われた事実から逃れようと煩悶し輾転と苦しみ続けます。仕事に邁進しようと努めても楽して得られず、自暴自棄になり肉欲に耽溺したりもしますが、それも根本の解決とは成り得ません。唯一の人と決めて偕老同穴を願った愛する妻もその血縁に乱暴を受けてしまいます。不可抗力としての不運が主人公を襲い続けます。精神の衛生を計る為に籠もった山中で病気を患った主人公は、死を目前にして初めて悟りにも似た達観を得る…と云うのが簡単な粗筋です。

悲劇の代名詞である芥川龍之介本人が「彼に較べたら私の人生など大した事はない」と死ぬ直前まで持参し続けた事ででも有名な作品です。

暗夜行路は小説として見て必ずしも完成度の高い作品だとは思えないのですが、恵まれない人間が健常を取り戻そうとする過程を克明に描いていると云う点で優れた作品となっています。
汚穢の地である現代に生きる私達に何らかのヒントを与えてくれる一冊と云えるのではないでしょうか。


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2004/10/19

スパルタンX

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1984年にアイレムから発売されたビデオゲームです。

ジャッキーチェン主演の同名映画とのタイアップ作品だったようなのですが、内容は全く合致していません。不思議ですね。

内容は任意左右スクロール型のアクションゲームです。搭の中を踏破すると云う設定なので奇数面では左に進み偶数面では右へ向かって進む事になります。左右から無尽蔵に出現する敵を倒して、行き止まりで待ち構えているボスを倒すと1面クリア。全5面のループゲームです。

現在の目で見ると何の変哲もないゲームですし、操作性も良くないので特に面白いとは思えないのですが、この作品はゲームシステムにひとつの発明をもたらした画期的なゲームと云えます。
左右から迫り来る敵を瞬時判断して順序よく倒して行く。当たり前のように思えるルールですが、これを初めてシステマティックにゲーム内へと取り入れたのが新たな発明だったのです。コロンブスの卵とも云えるこのシステムの画期的だった証拠としては、以後多くのメーカーから競って類似品が発売された事ででも知れます。

これに近いシステムを持ったゲームは古くからあったと思うのですが、スパルタンXをゲームとして斬新せしめたのは「ナイフ投げ」と云う敵です。通常の雑魚敵は主人公を捕まえるべく突進して来るだけですが、ナイフ投げは一定の距離を保ち飛び道具で攻撃してきます。攻撃バリエーションの萌芽とも云えるでしょう。主人公は接近戦しか出来ませんから、どの敵から倒して行けば安全と効率を確保出来るかと云う問題に直面します。ここにゲーム的な状況判断と云う思考が生まれたのです。

この分かり易いゲーム的に非常に優れたシステムと、敵を倒した時の爽快感(物理法則を無視したやられパターン)、ジャッキーチェンと云う人気キャラクターなどに依りスパルタンXは一般層にロングヒットしました。
任天堂より発売されたファミコン版もマリオシリーズの宮本さんが監修しただけあって完成度の高い移植として大ヒットしています。

ゲームはとかく面白さのみで評価される事が多いのですが、このスパルタンXのようにシステムのみでも評価される作品があって然るべきだと思いますし、それが業界の試金石となるのではないかと考えられます。レトロゲームの価値の高まっている昨今そうした活動も必要なのではないでしょうか。

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スターウォーズ

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1983年に米国のアタリ社より発売されたビデオゲームです。

ご存知の通りジョージ・ルーカス監督の代表作である映画をゲーム化したもので、エピソードⅣでのデス・スター上の戦闘〈ヤヴィンの闘い〉を抜粋したものとなっています。

ゲームは画面がワイヤーフレームで描かれた3Dシューティング物なのですが、これが映画の雰囲気をこれ以上ないと云うほど再現しています。自機であるX-WINGのコクピットを模した筐体も世界観の構築に一役買っており、堅い操縦桿がゲームに重厚感を与えていました。いまの耳で聞くと大した事はない効果音や音声合成も、この筐体に乗り込む事でユーザーをルーク・スカイウォーカーへと変貌させてしまう魔力がありました。

ゲーム内容は3面1ループのエンドレス仕様なのですが、周回を重ねる毎に難度が上がって行きます。スタート時にも腕前に応じて難易度を選択出来ます。これはアタリゲームに必ず付いている仕様ですね。敵の攻撃を受けたり障害物に接触するとシールドがひとつずつ剥がれて行き、0になり攻撃を受けるとゲームオーバー。3Dゲームを作る際に最も難しいとされている操作性と当たり判定の件も無理なく完成されていますので、ユーザーがストレスを感じる事はありません。

海外製の大型筐体と云う負を持っていた割りには多く出荷されていたのではないでしょうか。大きなゲームコーナーには大概置いてあったと記憶しています。映画公開時に小学一年生だった私はその時に受けた衝撃を引きずったまま小遣いのほぼ全てをこのゲームに使っていました。

現在は任天堂ゲームキューブのローグ・スコードロンⅢにボーナスとして本ゲームが収録されています。スターウォーズの刷り込みがない若い方たちにはどのように映るか判然しませんが、当時の最新技術を駆使した大作ゲームが家庭で遊べるなんて本当に良い時代だなと感傷に浸っております。

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2004/10/16

バラデューク

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1985年にナムコから発売されたビデオゲームです。

内容はサイドビュー任意8方向スクロールのシューティングゲームです。低重力のフィールド内を比較的大きな自機で動き回り、オクティと呼ばれる固定敵を全て倒し出口に入ると一面クリアとなります。全48面です。
システム的に目新しい箇所もなく、ゲーム性も薄い名作とは云い難い本作ですが、独特の世界観を持っています。
HRギーガー調の薄暗い背景に鮮やかな黄色い衣装を纏った自機。深い青色で統一されたグロテスクなオクティ達。効果音のみの音響。そしてコミカルな風貌の仲間パケットは音声合成で喋ります。エンディングで明らかとなるのは自機が女性だったと云う事実です。任天堂のメトロイド(ファミコン)も同様な設定ですが、出典はバラデュークであった筈です。
このゲームもプレイステーション用のナムコミュージアムに収録されていますので、興味がおありの方は購入して見ると良いでしょう。

ゲーム性が薄いと書きましたが、決して詰まらない訳でもなく十分遊べるゲームには仕上がっています。しかし80年中盤のこの辺りからナムコゲームの斜陽が始まりました。

第一の原因はハードの性能が上がって来た事に起因したアイディアの欠落だと思います。それまでのナムコゲームはひとつの斬新なアイディアを核としたゲーム作りをして来ました。少ない容量と低いハードの性能で作り得る最善のものを、それこそ腐心して作り上げていたのだと思います。云ってみれば、これは不可能と云う制限を巧みに利用してアイディア先行のシステムをゲームとして昇華させていたのです。
ハードの性能が上がると今迄のナムコが行って来たゲーム作りの文法が通用しなくなって来ました。容量の桁が増え、グラフィックとサウンドの表現力も段違いに上がった事で、ゲームの本質が見え難くなって来たのが80年中盤と云う時代だったのです。これはメーカーにとってもユーザーにして見ても同様な意味を持つ初めての暗雲と云えるものでした。

その雲間を切って現れたのがカプコン、SNKなどに代表される新興メーカーの台頭です。これがナムコ衰退の第二の原因となりました。
特にカプコンは業界に新しい風を巻き起こしたと云えるでしょう。美麗なグラフィックを最大の武器として、奇抜なゲームタイトルを掲げるとゲーム内に物語性まで組み込みました。そしてそれまでのゲームには見られないほど多彩なアイテムやパワーアップなどを大盤振る舞いしてユーザーを喜ばせようとしたのです。
カプコンのゲームに独自性があったかと問われれば、正直無かったと云わざるを得ません。悪く云えばそれまでにも存在した内容の焼き直し程度でした。しかし、ユーザーは美麗なグラフィックに目を奪われ、直接的なアイテム、パワーアップシステムを歓迎したのです。

ゲームの生みの親はアタリでした。育てたのは間違いなくナムコです。そうして成長した息子たちカプコンらがゲーム業界をリードし始めたのです。
やったもん勝ち的なえげつなさが業界に蔓延した感があります。タイトーやセガなどの古参メーカーもその流れに乗りましたが、ナムコだけは自らの矜持を大事に思ったのか躊躇していたように見えました。結局は時代にアジャスト出来なかったのです。以後ナムコは迎合を余儀なくされたのですが、時代の変わり目を敢えて無視した為か乗り遅れ、全てが後手に回るような悪循環に陥りました。

今回紹介した「バラディーク」の他「メトロクロス」「モトス」あたりが最盛期のナムコが持っていた輝きを鈍くではありますがかろうじて保っている佳作たちと云えるでしょう。
当時のナムコの素晴らしさを知っているユーザーは、この頃の作品をどのような印象で以て捉えているのか知りたいところです。

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2004/10/15

サクリファイス

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ロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの遺作で1986年に公開されたフランス映画です。

タルコフスキーは世界的に見ても偉大な監督なのですが一般的にはあまり知られていないと思います。最も有名な作品は「惑星ソラリス」でしょう。これは最近ハリウッドでリメイクされましたが全くの別物だと思って下さい。およそ本来のテーマからは懸け離れています。
タルコフスキーの作風は哲学を映像で綴ると云うもので、一切の説明がないばかりか、過去と現在または夢と現実が混在している難解なものです。映画に娯楽を求める向きの方には退屈をしか提供しないでしょう。
しかし、少しでもタルコフスキーの世界を垣間見る事が出来たなら、彼の綴る美しい映像詩に時を忘れて夢中になる事と思います。

「サクリファイス」は自己犠牲の映画です。平穏な休日を過ごす家庭に突如核戦争の暗い帷が降り、家族を守りたいとする男が魔女と平和を取り戻す契約を結びます。その代償として男は最も大切である家を消失しなければならなかった…と云う内容なのですが、これが映像のみで語られて行くのです。
タルコフスキーの映画としては台詞も多く一義的な物語は把握し易い方だと思いますが、それでも昨今のハリウッド映画などとは比較にならないほど難解だとは思います。
上の要約も私が感じたままを書いただけなので、実際の物語と内容が合致しているかどうかは分かりません。

タルコフスキーの作品は他に「ノスタルジア」「鏡」「ストーカー」などがありますが、いずれも物語の説明をするのが困難なものばかりです。でもこれで良いのではないでしょうか。見るものに万別な印象を与えてくれる映画があるだけでも貴重だと思います。私達はタルコフスキーが綴る映像詩を見たまま感じたままに味わい、ただ共通の感動を受け取れば十分なのです。2時間ないし3時間の中で与えられた脳は理解しないでも、心に刻まれる感覚だけを大事に仕舞って置きたいものです。

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2004/10/14

マーブルマッドネス

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1984年に米アタリ社の発売したビデオゲームです。

非常に斬新なゲームで、トラックボールのみでビー玉を操りゴール地点まで運ぶと1面クリアとなります。
敵に触れて弾かれたり穴に落ちたりするとミスになるのですが、タイム制を採用しているのでビー玉が画面に復帰するまでの時間が消費されるだけと云うシステムになっています。残りタイムが次の面に持ち越せるので、ゆっくりと安全に進む場所と強引に突っ走る場面とを自分で判断して行かなければなりません。
アタリ社のゲームにはよくあるのですが、面スタート時に乱数でタイムボーナスが貰えたりします。これに依り通常クリア出来ないラウンドがクリア出来る可能性もある訳です。これはピンボールのゲームオーバー後にあるナンバーマッチから来たものだと思います。

内容はシンプルそのものですが、繊細なグラフィックと質感のある音響が上手く融合した名作と云えますね。
特にグラフィックは一見の価値ありです。上の画像を見て頂くとポリゴンのように見えるかも知れませんが、これ実はドット絵なんですよ。当時まだポリゴンなどゲームには使用されていなかったのです。しかし、ちゃんと立体に見える計算はなされてはいたようですね。全6面で構成されているのですが、それぞれの面に絵的な趣向と仕掛けが凝らされているので、それを見たいが為にプレイしていた人も多いと思います。

このゲームの作者は当時大学生だったマーク・サニーと云う方で、以後セガに入社して家庭用のゲームを作っていました。独立した彼は新しい会社でプレイステーション用の「クラッシュバンディクー」や「スパイロドラゴン」などを作成して現在に至っています。

このゲームもいま遊べる環境は全くないと思います。当時日本ではナムコが輸入販売していましたが、アップライト筐体でありメンテナンスのし難い海外製品と云う事で、まともに稼働するものは既に残っていないでしょう。
内容的には今でも通用すると思えるものだけに残念でなりません。

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ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

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今年の9月にやっと発売されたJKローリング作のシリーズ第5弾です。

子供の文学離れが甚だしい昨今、情操教育としての材料には打って付けの作品だと思います。
文章量が少ない訳ではありませんが一気に読み通したくなる力を持っていますし、文字を装飾する事によって視覚的な効果を作り出すなど色々な工夫もなされています。

作品の構成は厳密ではない推理小説の態を取っています。導入、伏線、謎、事件、説明と云うのが全作品の変わらない大まかな流れです。このサスペンスフルな構成が読み手を飽きさせない理由でしょう。子供だけならず大人にも絶大な人気を誇っている事にも頷けます。

しかし今回の「不死鳥の騎士団」は失敗作ではないかと思われます。それが云い過ぎだとしても、今迄の作品では上手く機能していた構成が、マンネリ化もあってかギクシャクとした不協和音を立てているような感が拭えません。
それと方々でよく云われていますが、今回のハリーの性格には棘があります。全てがマイナス志向の主人公と云うのも児童書と云う位置付けの本書には不釣り合いに思えます。思春期だとする設定らしいのですが、どうも釈然としませんね。心理描写も中途半端ですしどちらかと云うと作者の苛立ちを感じられます。

それよりも気になるのはやはり物語の構成です。起承転結となるべき筈が、起承承結となっているのです。読んだ方なら分かると思うのですが、1300ページもあるうちのラスト150ページでしか事件が起こっていないのです。しかも突発的な印象がある為か最後に味わえる筈のカタルシスも感じられません。そうして長々としたダンブルドア校長の謎解きが始まるのです。

ハリー・ポッターシリーズは全7巻で終了する事が予定されていますので、この5巻は最後に繋げる為の難しい位置にある事は想像出来ます。その為にハリーの性格ともども無理が出てしまったのではないかと云うのが私の意見なのですが間違っているでしょうか。
このような長大な物語ともなると場合として作者の力量が追い付いて行かない事もあると考えられます。他のメディアで云うと「ドラゴンクエスト」などが良い例でしょう。どうしてもシリーズの途中などで破綻が生じてしまうものなのです。余談ではあるのですが、潔癖な芥川龍之介が長編を諦めた理由もそこにある思います。

しかし、シリーズが終了した時に「不死鳥の騎士団」の持つ意味が判然とする場合もあると思うのです。作者としてあの時点で矯正しなければこの大円団には結び付けなかったのだな…と云う意味なのですが。

私もハリーポッターシリーズの一ファンとして早く続編が読みたいと云うのもまた正直な気持ちです。物語の流れから察すると読後感の悪いのは「不死鳥の騎士団」だけだと思います。以前の4冊は勿論の事ここから繋がる2冊は、きっと読者を童心に連れ戻してくれる名著として語り継がれていく事でしょう。
未読の方はこれだけ夢中にさせてくれる小説なのにリアルタイムで読める可能性を自ら逃している事になりまので、早めに読んでしまう事をお奨めします。第6巻がなかなか出版されない事を翻訳者のせいにしてやきもきしてしまう事を請け合います。

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ホープス・アンド・フィアーズ/ KEANE

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今年の4月頃に発売されたUKロックバンドのデビューアルバムです。

友達に奨められて購入して見たのですが非常に良いアルバムでした。ロックバンドとは書きましたが、ギターレスの3ピースなのでピアノメインのポップス寄りと云った方が良いかも知れません。
いかにもUKらしい雰囲気の音楽で、コールドプレイほど先鋭ではなく、トラヴィスと較べても優しくて、レディオヘッドよりは聴き易い…と云った印象を受けました。
先行シングルで発売され邦版のCDにはPVも収録されている「Somewhere Only We Know」など名曲揃いの本アルバムですが、私が最も気に入ったのはヴォーカルのトム・チャップリンくんの声でした。
聴き始めた時には気付かなかったのですが、注意して聴くとクイーンのフレディ・マーキュリーにそっくりなのです。特にヒアリングと涎の垂れそうな息継ぎは'70年代前半の彼に本当によく似ています。曲も初期のフレディが書きそうなメロディのものもあったりしてチャップリンくんかフレディかと錯覚してしまうほどです。
英国でのクイーンの影響は絶大なものなので、チャップリンくんもフレディのファンなのではないかと思います。

私と同世代(30代半ば以降)の洋楽ファンは最近の新人が出したCDを聴かない事が多いと思います。しかしキーンのような若いロックバンドでも私達を楽しませてくれるアーティストが増えて来ているのも事実です。好みの差はあるでしょうが、ストロークスやホワイトストライプスなど、私達のあの頃を意識したアーティストが続々とデビューしています。最近の音楽はなどと云う偏見を捨てて新しい物に挑戦して見てはいかがでしょうか。
その手始めとしてキーンの本アルバムは最適だと思いますよ。

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2004/10/13

AFS

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日東科学教材株式会社から発売されているプラモデルです。

月刊模型誌モデルグラフィックスで「マシーネンクリーガー」としてフォトストーリーが不定期連載されています。作者はイラストレーターの横山宏さんと云う方で、氏がデザイン作成した物を改めて模型化して販売されているものです。
もともとはホビージャパンと云う雑誌で1982年から85年まで連載されていました。当時は「SF3D」と云うタイトルであったのですが、10年以上の空白期間を経て再販される際に名称が改められたのでした。
この空白期間と名称変更には色々な事情があったようで、氏とホビージャパンとの間で裁判も起こされています。要はホビージャパン側が氏に入って来る筈の印税をちょろまかしたのが原因で袂を分かち、再販する際に「SF3D」と云う名称の版権を持っている事を盾にして販売の邪魔をした…と云ったところのようです。

偶然立ち寄った模型店で本シリーズが再販されている事を知った時は大変驚きました。そうして私も15年振りで模型を趣味として作り始めたのでした。

「AFS」はシリーズの第1弾とした発売された模型です。当時は様々な理由でガンダムの模型が下火になりつつある頃で、モデラーは新しい物を欲していた感がありました。丁度そのような時に発売されたSFでありながらミリタリーの風味を持った「SF3D」は一部の層に絶大な支持を以て迎え入れられたのです。海外でもかなりの人気を誇っていたようです。結局のところミリタリーの設定至上主義の堅苦しさやガンダムなどの荒唐無稽なメカに皆辟易していたのだと思います。
横山氏の奔放なキャラクターと自由な設定で楽しめる「SF3D」はミニマムな模型界にあって一種の清涼剤にもなっていたのでしょう。そうして全てが斬新でした。模型には見えないデザイン性の優れた箱、中身を見られないシュリンクパック、日本製なのに表記が英語のみ、当時としては破格の値段設定。そして横山氏の作成したオリジナル模型をコピーしたかのような製品…。
今でも少ない小遣いを遣り繰りして買い集めていた中学生の頃を思い出せるようです。

この歳になると模型に費やせる時間もなかなかないのですが、休日の間隙を見付けてはこつこつと作ったりはしています。上の画像は以前私が作成して或る事情から手放してしまったものなのですが、手間暇のかかったものだけに愛着がありますね。
模型はシンナーの臭いさえ気にならなければ一生をともに過ごせる良い趣味だと思います。幼稚だなどと思わずに貴方ももう一度作って見ませんか?

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ディグダグ

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1982年にナムコから発売されたビデオゲームです。

'80年代初頭はナムコの黄金期でした。ギャラクシアンから始まりパックマン、ギャラガ、ポールポジション、ゼビウス、マッピーと出すゲーム全てが全て斬新でいずれも大ヒット作品となりました。ディグダグもその中にあって一際輝きを放ち続けた珠玉の名作です。
当時のナムコゲームの特徴はポップなグラフィックと可愛らしいキャラクター、斬新なアイディアから成立していました。しかし、ナムコが全くのオピニオンリーダーだったかと云えばそうではないのです。
ビデオゲームの基礎(システムやルール)を構築したのは米国のアタリ社です。現在の目で見ても'70年代中半から80年代初頭にかけてのアタリ社のゲームにおける独創性には驚愕させられます。ただ、いつの世でも新機軸を持つものは理解されないでしまう可能性を多分に孕んでいると云えるでしょう。ナムコが優れていたのは、そうしたアタリ社の構築したゲーム的なルールを踏まえた上で斬新なアイディアを作り出し、人目を引くグラフィックと愛されるキャラクターを乗せた点にあると云えます。またアタリ社のゲームにときたま見られた理不尽な感覚も消去してあります。
このようにしてナムコは本場である米国をも席巻して'80年代中盤まで王者であり続けたのです。それ以降の斜陽零落についてはまたの機会に書く事とします。

ディグダグの内容に戻りますが、この作品は初めて戦略性を持たせたアクションゲームだったと云えるのではないでしょうか。敵を纏めて倒すと高得点が入ると云うのはゲームの黎明期からあったフィーチャーですが、能動的に且つ先を見越して行なわなければならないのがディグダグの特徴です。敵を単体で倒すだけであればポンプを用い膨らませて破裂させるだけで良いのですが(これも凄いアイディア)、高得点を得る為には、リスク覚悟で縦穴を作り敵を多く誘導した上で岩を落下させなければなりません。ポンプで膨らませた敵を通過出来るあたりも練り込まれている証拠でしょう。予め仕掛けを作るところが戦略的であるのです。敵を纏めて潰した時の達成感はそれまでのゲームにはない感覚を与えてくれました。
音楽も非常にシステマティックです。BGMは自機が穴を掘っている時にしか鳴りません。それ以外は効果音のみです。ゲームのシステム上、岩の下で待機して敵を待ち受ける事があるので、待ち伏せしている緊張感を出す為の処置ではなかったのかと考えられます。
ゲーム序盤はゆったりとした牧歌的な印象で進んで行くのですが、後半になると敵の速度が上がり自機に向かって来るので、かなり激しい内容になります。敵の移動速度は自機と比較しても随分と早いのですが、岩で纏めて倒す事が出来るのでゲームバランスも非常に優秀です。
いまでも十分に遊べるのは全体として完成されているからでしょうね。最近ゲームボーイアドバンス用のソフトも発売されましたし、プレイステーションのナムコミュージアムにも収録されているので機会があったら是非とも遊んで欲しい作品です。

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2004/10/12

プリーズ・プリーズ・ミー/ THE BEATLES

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ビートルズが1963年に発表したデビューアルバムです。
彼らについては殆ど全ての事が語り尽くされているので特に書く事もないのですが、このアルバムに関しては予算などの都合上約半日で一発録りに近い形で作られた事もあり、非常にライブ感のある佳作に仕上がっています。
私が初めて購入したビートルズのアルバムは「パストマスターズ2」だったのですが、ご存知のようにシングル曲やアルバムから何らかの理由で漏れた曲の集合であるこのアルバムを好きになれませんでした。ビートルズとはこんなものなのかと以降聴く機会を自ら放擲してしまったのです。
数年後、バンドでビートルズを演奏しようと云う事になり必要上「プリーズ・プリーズ・ミー」を購入しました。
改めて聴いたビートルズは衝撃的でした。私の今迄抱いていた印象である「パストマスターズ2」の単調さや「レットイットビー」「ヘイ・ジュード」など有名曲の辛気臭い感じとは無縁の勢いのあるデビューアルバムは、それこそ私を夢中にしてくれました。キャッチーでハードなロック、甘くて切ないバラード、カヴァーを自家薬籠箱にしてしまう力、盗作まがいのポップス(アスクミーホワイ、PSアイラブユー)。全てが新鮮でした。
以降私はすぐさまビートルズの全アルバムを買い揃えてしまいました。順を追って聴く事で「パストマスターズ2」の意味や位置も判然し好きなアルバムとなりました。
この事で勉強させられたのは、たった一枚のアルバム、ひとつの作品で全てを評価しないと云う態度です。もし初めて購入したアルバムが初期の名曲がぎっしり詰まっている「パストマスターズ1」であったのなら、私はここでビートルズのファンになっていただろうと思います。しかし今では「パストマスターズ2」があったからこその自分だと思えるのです。このアルバムと「プリーズ・プリーズ・ミー」こそがまさしくマストアイテムだと云えます。
もしビートルズを真剣に聴いた事のない方がいるならば、年代順を追って購入する事をお奨めします。聴いていないビートルズのアルバムの数だけ人生に幸せが残っているなんてとても羨ましい事実ですよ。

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ソロモンの鍵

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小粒ながら良作を発表し続けていたテーカンが社名をテクモに変更した際の1986年に第1弾として発売したビデオゲームです。

非常に良く出来た固定画面アクションパズルゲームで、アクションとパズルの比率が5対5、掛け算の結果として120%の面白さを提供してくれています。
ゲーム内容は、ドラえもんの空気ブロックを連想させる石ボタンで足場を作成消去して進み、画面内にある鍵を入手して扉へ入ると一面クリアとなります。パズル性を緩和させる効果と緊急回避的な意味合いのファイアボールを使用出来るところも良く考えられている部分です。全44面+隠し6面+ボーナス面の長丁場ですが、様々なテクニックを駆使しなければならないのと、至る所にある隠れキャラの存在で末永く遊べるゲームに仕上げられています。

このゲームはファミコン版と同時発売されたのですが、アーケード版は出荷台数がかなり少なかったようでゲームセンターではあまり見掛けませんでした。タイトー系列の一部にしか入荷されていなかったと記憶しています。この事からマイナーな印象が付き纏う不運な名作だと云えるでしょう。
因みにファミコン版はスーパーマリオブームの渦中に発売された事もあり100万本以上売れたようです。

現在このゲームを遊べる環境は殆どないのですが、年末あたりにテクモがプレイステーション2で発売するレトロゲーム集にパッケージングされていました。他に「アルゴスの戦士」やテーカン時代の名作「スターフォース」「センジョウ」なども含まれています。パズルゲームのお好きな方は購入を予定して見てはいかかでしょうか。

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2004/10/11

1942

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当時まだ新興メーカーだったカプコンが1984年に発売したビデオゲームです。

現在の目で見ると非常に淡泊な内容の縦スクロール型シューティングゲームなのですが、発表された当時は描き込まれたグラフィックと大小様々なキャラクターが多彩な凝った作品に見えました。
ゼビウスの亜流でありながら独自性を出そうとした結果かも知れませんが、攻撃ボタンひとつで全ての敵を破壊して行くと云うシンプルな内容で万人にロングヒットしました。
特筆すべきは緊急回避の宙返りボタンです。これを使う事に依り攻撃は出来ませんが一定時間無敵となります。このシステムが現在のシューティングに準拠されているボムに変化したと云えるでしょう。

舞台設定も奇抜で米軍のP-38ライトニングを操り日本軍を壊滅させると云う衝撃的なものとなっています。因みに最終面は沖縄上空です。タイトルの1942と云うのも画期的な感があります。
このゲームの企画には新人だった岡本吉起さんが参加しています。ストリートファイターやバイオハザードなどで有名なカプコンの名物プロデューサーですね。これもハッタリの巧みな彼の案だったのではないでしょうか。

避けて打つと云う本来の醍醐味を存分に味わえるシューティングゲームです。最近の煩雑なゲームに飽和した脳を無に帰してくれる貴重な存在だと思います。
興味がおありの方はプレイステーション用の「カプコンジェネレーション第一集・撃墜王の時代」を購入すると良いでしょう。1942のほか続編の1943、1943の改悪バージョン1943改も含有されています。

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2004/10/10

ダライアス

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1987年にタイトーから発売されたビデオゲームです。

内容としては何の変哲もない横スクロール型のシューティングゲームなのですが、ハード面(筐体)に於いて斬新な作品でした。先ず19インチモニターが横に3画面並んでいます。これに依り今迄になかったプレイフィールドの広さを獲得する事に成功しました。厳密にはモニターの繋ぎ目を失くす為に、モニター、鏡、モニターと設置されており、筐体の下にある隠しモニターの映像を鏡で拾う事で、面一な映像を提供しています。これは良く考えられた方法だと当時感心させられました。(タイトーはそれより以前にワイバーンF-0と云う縦スクロールシューティングゲームで同様な方式を開発しています)
次に特記しなければならないのは当時巷へ出回り始めたばかりのボディソニックを採用した事でしょう。これがゲーム内容と連繋していて、巨大戦艦などを倒すと大音響とともに振動して背中やお尻あたりを刺激するのです。
音楽に関しても自信があったようでイヤホン端子も常備されていました。

内容自体に変哲がないとは書きましたが、独特で高いゲーム性を誇っていた事に疑いを挟む余地はありません。
道中で雑魚を倒してパワーアップして行き、最後に現れるボスを倒すと1面クリアと云う流れなのですが、上の画像のようにボスは1画面はあるかと云うほど巨大です。このボスは何故だか分かりませんが魚をモチーフとしてデザインされています。これがダライアスと云うゲームに独特な魅力を提供している要素の大なるところでもあると思われます。ボスとの一騎打ちは大概長丁場の持久戦となり非常に高い緊張感を与えてくれます。

ダライアスのゲーム性を語る上で外せないのがパワーアップの方式と弊害です。ショットを段階的にパワーアップさせると自機の攻撃力が上昇するので、バランスを取る為にボスの耐久力も増量すると云う仕様になっているのですが、ボスを強くし過ぎた所為で逆にバランスを崩す結果となってしまったのです。それに依り初心者は故意にパワーアップをしない事で自らバランスを調整して遊ぶと云う変な攻略法が生み出されました。

しかしダライアスの本当の面白さは敢えてパワーアップしてリスクを侵してまで味わう緊張感にあると思います。
私も当初はパワーアップせずに遊んでいました。広範囲の敵を倒せるミサイルを、攻撃力は高いが当たり判定の小さいレーザーにさえしなければ絶妙な難易度の好ゲームであったからです。しかしレーザーの上位武器であるウェーブの破壊力から来る爽快感はダライアスのゲーム性を全く変えてしまうほどのインパクトを持っていました。地形まで貫通するウェーブの最終段階まで来ると、ただボタンを押しているだけで広い画面内の敵を瞬時に倒せてしまうほど強烈なのです。そうなると貧弱なレーザーの段階を如何にして我慢するかが問題となって来ます。ここにゲームを攻略して行くと云う楽しさが加わり、不利な状況を克服する為の緊張感が生じたのだと思います。

このような初心者から上級者まで楽しめるダライアスは斬新な筐体と云うハードの力も借りて長期間稼働し続けました。経営側から見ると1プレイ時間の長いゲームであったので必ずしも良いゲームではなかったかも知れませんが、当時のゲームセンターを賑わしてくれた名作に相違ないと思います。
特殊な大型筐体と云う事もあり、現在プレイ出来る環境は殆どないでしょう。もしレトロゲームを取り扱っているゲームセンターなどで見掛けたら是非遊んで見て下さい。ここには書きませんでしたが、普通の内容のゲームでもハードを変えただけでゲーム性が窯変する事実にお気付きになると思われます。

最後に提案。ピラニアとカジキの順番を逆にすればエクストラバージョンは必要なかったのではないでしょうか?

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2004/10/09

こころ

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大正3年朝日新聞に連載された夏目漱石が48歳の時の小説です。

私がこの作品を読んだのは18歳の頃だったと思います。文学少年であったのでそれまでにも多くの書物に慣れ親しんでいたのですが、この小説を読んだ時の衝撃は非常に大きく今でも決して忘れられません。
漱石と云うと「吾輩は猫である」「坊っちゃん」が一般的には有名で代表作として挙げられる事が多く、私も類に漏れずそう思って疑いもしませんでした。
しかし「こころ」以降買い集めた中期以降晩年の小説を読んで、その考えと印象の間違っていた事に気付かされました。
いま見ると「猫」は読書を楽しませようとしただけで続けた戯作であり、「坊っちゃん」は田舎者を馬鹿にしたかった漱石の皮肉をしか読み取れないのです。「坊っちゃん」に単純な勧善懲悪を見て痛快だとする評価は漱石を知らない人が語る浅墓でしかないでしょう。

「こころ」は精神の潔癖を説いた小説です。
偶然先生との知己を得た「私」が語り部となり、先生の過去を遺書と云う形で告白される形式が取られています。これから読む方の事を考えて詳しい内容には触れませんが、脂が乗り切っている頃の漱石の作品であるので、文章、構成とも完璧な高みで融合されていて読み手を飽きさせません。先生が自らを裁断しなければならなかった意味も自然と胸に入って来るようで無理を感じさせないのは文豪の力量でしょう。

現代に生きる私達に足りないものは日本人的な道徳なのではないでしょうか。精神が汚辱されるのであれば死を選ぶ覚悟さえ厭わない。明治の時代にはあった朱子学から独自発展した武士道の精神を取り戻す為にも、一般的に読み易いこの小説を読む事を強くお奨めしたいと思います。

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ドルアーガの搭

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1984年に発売されたナムコのビデオゲームです。

かなり有名な作品ですので名前くらいは知っている方も多いと思います。当時はロールプレイングゲームにジャンル分けされていましたが、現在の目で見るとパズル要素の強い硬派なアクションゲームと云えるでしょう。

ゲーム内容は迷路内に置かれた鍵を拾い扉へ入ると一面クリアとなります。全60面。一面に一個アイテムが隠されており、それを入手する事で主人公であるギルの性能が強化されて行く辺りがロールプレイングと云われていた所以です。
アイテムは或る条件を満たすと迷路内に出現すると云う仕様なのですが、この条件が曲者でして、特定の敵を倒すと云う簡単なものから、鍵を拾わずに扉に触れると云う引っ掛け、またはレバーを高速で三回転させる、暫く動かないなどの無理難題も出て来ます。発売された当時はアイテムの出現条件を見出す事にマニアは躍起となっていました。

このゲームが市民権を得たのはファミコンに移植された事が切っ掛けであると思います。それまではゲームセンターに通う一部のマニアの為だけのゲームと云う印象しかありませんでしたが、ファミコン版とそれに伴う攻略本の流布に依って、やっと一般にまで難解な内容と面白さが理解されたのだと思います。実際に中学生だった私もその一人でした。ドルアーガに限った話ではないのですが、ゲームセンターにいる上級者の前で遊ぶ勇気のなかった人はファミコンで練習して自信を付けてからオリジナルで腕を試す…そんな流れが確実に存在していたのです。

全60面のアイテムの出現方法を憶えてからがドルアーガの持つ本来のアクションゲームとしての面白さが発揮されます。このゲームは至る所に乱数処理が施されています。自機、敵、鍵、扉の出現位置が毎ゲーム変化するのです。これに依って得られる最大の効果は、パターンを作れないので毎回新鮮な気持ちで遊べると云う事です。
シビアな難度の中で如何にアイテムを出現させてクリアして行くか。鍵と扉と自機の出現位置が相違するだけで簡単になる事もあれば、逆に難しくなる事もあります。その中をゲーム内の経験から導き出した自分だけの方法論でクリアして行く。これがドルアーガの搭の最終的なゲーム性と云えるでしょう。

一生を通して遊び続ける事の出来るゲームと云うものが少ないながらも存在すると思います。ドルアーガの搭もそんな作品のひとつです。昔のゲームではありますが、現在でもプレイステーションのナムコミュージアムに収録されていますので入手する事は容易ですし、おまけとして超難度の裏ドルアーガと闇ドルアーガまで付いています。是非プレイしていただきたいアクションゲームの傑作です。

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はじめ間下このみ

ちょっとした好奇心でブログを始めて見ようと思い立ちました。
継続して行くかは全くの未定でありますが、そうであるならば私の趣味に適う小説や映画、ゲームなどを紹介して行きたいと考えております。

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