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2004/12/15

奇々怪界

kikikai

1986年にタイトーから発表されたビデオゲームです。

8方向レバーと2つのボタンを使用する任意スクロールのシューティングゲームです。
主人公の向きに応じて8方向にショットを打ち分けられます。「戦場の狼」などと同様のシステムですので、移動方向=ショット方向となる問題を抱えています。その解決策としてお祓いボタンがあり、押す事で射程は短いものの主人公の前方をカバー出来る攻撃となります。実際にはショットは攻撃用、お祓いは防御用と云うように使われます。2つのボタン効果を同時に使用する事は出来ません。

しかし出来る事ならばショットとお祓いを1つのボタンに纏めても良かったのではないでしょうか。攻撃しつつも前方を広く防御するシステムとなっていたのなら、敵に体当たりされる事が多い本作の欠点を緩和する結果になったと思います。

企画者の観点に立って考えると……先ずはショットありきで企画されていた。その移動と攻撃の欠点を補おうとして近距離広範囲の「お祓い」を考案。これは良いシステムだと自画自賛。本来の意味を忘れて安易に2つのボタンに割り振ってみた。以後その効果については疑問も浮かばず完成。と云ったプロセスを通ったと考えられます。または「お祓い」は新機軸であり本作の売りである、ボタンを独立させる事で目立ったものとしよう……と云う事かも知れません。ここには企画の練り込み不足と開発者のエゴがあるように見えます。

任意スクロールタイプのシューティング物は古くから存在し、本作が全くのオリジナルとは云えません。
ここに亜流ゲームを作る際の罠が仕組まれています。オリジナルにあった欠点を解決する、追加要素を加えて新しいゲーム性を組み込む。と云うのが二番煎じの味わいであろうとは思います。
欠点を改良すると云う方向は当然行われるべき試行錯誤でしょう。システムを大きく変更しない限りは難しいものでもありません。大きな変更がある場合は他の要素との兼ね合いもありますから、欠点の改良が他の要素に対して改悪となる事も少なくありません。
しかし追加要素となると欠点を改良するほど簡単なものではなくなります。追加要素が他の完成されていた要素の邪魔をしてしまう事があるからです。結局は大きなシステム変更をする際と大差がないのです。

企画者とは、新しく組み込んだパズルのピースが及ばす全体の結果を常に計算しなければならない立場にいる存在と云えるでしょう。はめたピースが土台(システム)に近ければ近いほど、その影響は当然大きくなるものです。
凡庸な企画者とは総じて全体を見られない人の事です。新たに何かを追加した事実にのみ拘泥し一人満足を得るのが典型です。完成していたものに新たなピースを加えてしまっては均衡が崩れ、端から見た場合に煩雑を印象付けてしまいます。追加した満足と完成した結果とは全く次元の異なるものである筈なのに、渦中にいて気付き難い経過をも含んでいると云えるでしょう。
現在にあるプロデューサーシステムとは、このような失敗を未然に矯正し淘汰するものであると思います。

「奇々怪々」はそこまで酷いゲームではないのですが、プロデューサーシステムが皆無に等しかった時代の作品であるので、企画者の能力と志が低い煩雑なゲームに見えてしまいます。
グラフィックとサウンド、敵を倒すと云う意味でのゲーム性は決して悪くない出来だけに残念な感を抱かせるゲームではありますね。

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