ギャラクシアン
1979年にナムコから発表されたビデオゲームです。
先日、職場の大学生とゲームの話をしていたのですが、彼はギャラクシアンやゼビウスを知らないそうです。幾ら名作だとは云え生まれる前の事を知らないとしても不思議ではないのですが、多少のショックを受けました。好きな物であるならば当然の如く存在すると思われる、現在のものから時代を遡行して行く知識探求の欲を持たないのです。これは彼が特殊な訳ではなく最近の若者に顕著な例であると後日他の件からも知れました。
情報の充溢している現代に生きているからこその不必要と云えるのでしょう。過去へ振り向こうとしても、目の前に様々な楽しみが羅列されているのであれば仕方のない結果だとも思います。
インベーダー以後の最もエポックメイキングな作品として知られる「ギャラクシアン」も彼らの目には何の感動も与えないゲームとなってしまっているとすると、これは本当に悲しい事実ですね。しかし、これが文化の新陳代謝と云うものなのでしょう。
彼らは何十年か後に「ポケモン」や「バイオハザード」などをクラシックゲームとして友人らと語らって行くのだと思います。
当時新機軸のビデオゲームとして本作を夢中で遊んでいた私ですら、現在に楽しい作品だとは思えなかったりするのであれば、これも時代の必然だと云えますね。だからと云って固定画面シューティングの雛形ともなった本作の価値が落ちるものではないとも考えます。シンプルであるからこそ凝縮されているゲームとしての根本がオールドゲームの価値であり、絢爛な贅肉に惑わされそうな私達を導いてくれる指標たりうる筈なのです。
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