ドラゴンクエストⅡ
時たま無性にシンプルなRPGで遊びたくなりませんか?
特に最近の大作と呼ばれるRPGは大概にして煩雑なゲームシステムで成立しています。
戦闘システムの基本を過去に求めているにも関わらず、それを崩すかのような奇を衒ったもので構成されていたり、細部への配慮しか信じられないカスタマイズ至上主義に陥っていたり、物語とは関係のないミニゲームを羅列してテーマが曖昧になる失敗をしていたり、コレクション癖をくすぐろうとした安直な図鑑が設けられていますよね。
キャラクター性の書き分けが出来ないシナリオには、必ずと云って良いほど会話する際にキャラクターの一枚絵が登場します。その絵のなんとオタクっぽい事。なんとテンポの悪い事。これでは一般の客は付きません。
ゲーム音楽とは映画のそれと同様で、曲としての完成度が求められるものではない筈です。それでもいっぱしの作曲家を気取った彼らの奏でる音楽はなんとオナニー臭い事でしょう。
そうしてこれらの作品に諸手を上げて歓迎するユーザーの鑑賞眼のなさ……まさに世紀末とも云えますね。
結局のところドラクエ以降に新規ユーザーになった人が少ないのです。最近のドラクエも時代に迷走していると云えます。それでも300万本とか大ヒットしてしまうのは、離れていたユーザーが久し振りに戻って来たからに他なりません。そうして次のドラクエが発売されるまでまたゲームから遠ざかるのです。
話を少し反らしますが、現在活躍している漫画家の殆どは漫画以外の知識を得ずにそれを職業としてしまったようです。どうりで似たような作品ばかりしか現れない筈です。
手塚治虫や石森章太郎など黎明期から成熟期まで活躍していた人たちは、他の分野にも一家言持っていました。それだからこそ新しい作品を開拓出来たのです。
また現在のアニメーターはアニメしか見ずにそれを職業としてしまったようです。昔のアニメーターは大抵美大出身者が多いものです。そこでデッサン力や過去の名画などから絵の作り方を覚えた筈です。
最近のアニメのキャラクターが髪の色でしか判別出来ないのは私だけではないと思います。
ゲームの根幹とも云えるゲームシステム作りとは、ゲームのみから生ずるものではないでしょう。
様々な芸術、様々な万象と風尚、または哲学を数学的な頭脳に依って落とし込む作業と云える筈です。
ゲームしか知らないオタク的な彼らからはオタク的な些末をしか感じられないゲームしか生まれて来ないのです。それに満足しているのも結局はゲームしか知らないオタクなのです。
でもオタクゲームが必要であるのは疑う余地もありません。ただ最も多いであろう私のような一般層に近いオタクには正直楽しめないと云うのも本当です。
そろそろドラクエ登場時のような新規ユーザーを取り込める作品が出て来ても良いのではないでしょうか?
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