ゴーレム
中学生の頃ゲームデザイナーになりたくて拙いながらも日夜企画書を書いていました。
私は学校での勉強が本当に苦手でしたので、殆ど通学もしていません。三年生の時などは修学旅行にしか行っていないほどです。いまで云うニートみたいなものでしょう。学校側も問題児を抱えたくないとしたのか出席日数が全く足りていなかったにも関わらず卒業させてくれました。
どうして学校の勉強は頭に入って来ないのでしょうかねえ。
私は父親に面と向かって「この薄弱児め」と罵倒されていたくらいでしたから、普通よりも脳の成長が遅かったのかも知れません。
小学校六年生の頃にファミコンが発売されました。ブームが来たのは1年後にゼビウスが発売されたあたりでしょうね。ご多分に漏れず私も新しい遊戯の虜となった一人でした。
当初はただ時間を蝕み楽しんでいたに過ぎないのですが、どうも既存のゲームに物足りなさを感じて自分で企画を立ててみたくなったのです。
それまでに遊び込んでいたゲーム幾多のお陰で、システムの構築法やプログラム的な仕組みは、いつの間にか脳が理解していました。
幾つもの企画が止め処なく溢れて来て、後は企画書に纏めるだけと云う段階にありました。(以前mixiでTさんに提出した一人用の野球ゲームの企画もこの頃に考えたものです)
しかし、いざ企画書を作ろうとした時に今迄の不勉強が私を蹉跌させました。
どのように書いて良いものかも分かりませんでしたし、それを伝える為の表現手段である文章力が不足していたのです。
好きな事をやりたいと云う必然に駆られて、そこから自分の為に勉強する事を覚えました。14歳から20歳くらいまでが一生懸命にやった時期ですね。その間に興味の対象が何度か変わり、ゲームデザイナーになりたいとする夢もなくなりました。
人間と云うものは個々の能力にそれほど大差のないものだと思います。企画や発想にも大差はありません。ただそれを表現する方法に優劣があるだけなのではないでしょうか。
勉強の出来る人は興味の対象をそこに誘導する術を知っていると云う部分で優れているのです。
限界の上限を100M走に例えれば10秒の記録あたりにあるもので、どのような人でもそこまでは到達出来ると考えられます。ただ、それより上の記録を出せる人のみが稀有なのでしょう。
上の画像はゲームの企画書を作っていた当時にデザインしたゴーレムを模した雑魚キャラクターです。
泥粘土で作られた傀儡である彼に思考はありません。20年振りに思い出したので描いて見たのですが、私はこの偶然になんらかの自戒が込められているような気がしてならないのです。
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コメント
コメントしようと思ったけど長くなりそうな気配がしたので「非常に興味深い」とだけ言っておきますね。
投稿: eki | 2005/10/21 06:47
液さま
では今度お食事する際にでも…
投稿: 管理人バブシカ | 2005/10/21 07:07