スペースハリアーⅡ
ここ何回か連続してスペースハリアー関連の記事を書いて来ましたが、最後にメガドライブで発売されたスペースハリアーⅡで以て締め括りたいと思います。
1988年にセガから発売された16ビットCPUを持つ家庭用次世代ゲーム機メガドライブ(海外名ジェネシス)の第1弾として発表されたのが本作でした。
ユーザーからはかなりの期待を以て迎えられたタイトルだったのですが、その内容はと云うと箸にも棒にも掛からない最悪の無個性を顕わにした駄作となっていました。
発売前にゲーム雑誌で紹介されていた記事や掲載されていた画像を見るに、なかなか素晴らしい作品に仕上がっていると思われたのですが、いざプレイして見ると全く面白くなかったのです。
メガドライブはメインCPUにモトローラ68000を使っていましたので、その処理能力やグラフィック機能はそれまでの家庭用ゲーム機には見られないほどの高性能振りを発揮していました。
セガMk.Ⅲ版スペースハリアーのようにハード性能から来る非力さ故の負は抱えていませんでした。
それでもゲームが面白くなかったと云う事は内容に問題があったと見て間違いないでしょう。
まずグラフィックデザインが低俗です。
オリジナル・スペースハリアーは生物とメカの折衷で世界観を形成していました。それが個別にではあれセンス良く融合していたと云って良いでしょう。生物とメカが交わる事のないメリハリを感じる事も出来ました。
そして個々のキャラクター造形が大まかにすると、四角または丸を基調として作られています。
これは敵と云う存在の記号化とも取れますし、トータルデザインを考えた末の結論と読む事も出来ます。
もう少し具体的に述べれば、一枚のスプライトに無駄な空白が見られないのです。多関節キャラであるドムですら一枚の四角に収まるようなバランスのもとに描かれて存在しています。
これが何を意味しているかと云えば、キャラクターの等身が整理されていると云う結果を導き出している事になります。もう少し付加するとキャラバランス自体が個性を有する事になるのです。
絵画の専門的な知識をここで説明する労力は省きますが、スペースハリアーの静止画を見れば何れの場面であれ絵や構図の不均衡が見当たらない事実だけを記しておきます。
もう一つ特徴的なのは生物は暖色系かパステルカラー、メカは寒色系か原色とはっきり色分けされている事ですね。
とは書きましたが、上記の件はハード上の制約などから来た副産物がもたらした偶然だとは思います。しかし結果が全てであるとするならば、スペースハリアーのグラフィックはこれ以上ない完成度に仕上がっている事に疑問を差し挟む余地がありません。
そしてメガドライブのスペースハリアⅡのグラフィックは、上記の制約を無視したアンバランスなものとなっています。
生物とメカに加えファンタジーの要素がある事も統一感を放擲し曖昧模糊としてしまった要因だと思います。また納期が短かったのか手抜きらしい絵も多く見受けられますね。
音響面での負も目立ちました。FM音源を内蔵していたメガドライブでしたが、どうもパサついた印象が残っています。これはセガの家庭用ゲーム機の癖なんでしょうかねえ。Mk.Ⅲもそうだったのですが、メロディがノイズに引っ掛かるようなもどかしさを含有していました。これが為に長時間を快適に過ごす事が出来なかったと記憶しています。
しかしスペースハリアーⅡが何よりも面白くなかったのは、その内容に依るところが大きかったと思います。
オリジナル・スペースハリアーが持つゲーム性の素晴らしさは、疾走感と爽快感から成立されていると考えられます。その二つを後押しする物量の凄まじさも外せない因子だと云えるでしょう。
悲しい哉メガドライブのスペースハリアーⅡにはその何れもが備わっていないのです。
素晴らしいハード性能から地表のスクロールは流麗な疾走感を感じさせてはくれますが、速度の目安となる格子模様が小さく色が互いに似ている為スピードを感じさせません。
自機が移動する事でオリジナルよりも視点が低くなるシステムもフィールドを徒に狭めています。
また左右へのスクロールが広い事も前方へ進んでいる感覚を麻痺させる結果を作ってしまいました。
効果音が適正ではない事と、破壊出来る対象が少ない部分で爽快感を与えてくれません。
自機ショットの当たり判定もMk.Ⅲ版ほどではありませんが、かなり小さくて敵を破壊し難いのでストレスが溜まります。
敵の出現パターン、移動方法も画一的でバリエーションも少ない為に延々と単調が続きます。
はっきり云って良い部分が見当たりませんね。
続編を作る際に大切なのは前作を研究すると云う態度だと思います。開発陣が違うのであれば尚更のこと積まなければ許されない研鑽でしょう。スペースハリアーⅡからその努力の跡は全く見出せません。もともとが単純なシステムの上に成立されたスペースハリアーではありますが、企画書の平面には記されていないゲーム性を無視した結果であるとも考えられます。
私は常々コンピュータゲームとは茶器や壺などの焼き物に似ていると感じています。
企画書の完成は粘土で作られた原型に過ぎず、プログラムと云う竃を通して出来た作品は、時に思いも寄らぬ窯変を起こし完成してしまうからです。
以前記事に書いたグラディウスやダライアスが良い方向に窯変した一例だと思います。
スペースハリアーⅡの失敗は過去の話とは云えないでしょう。現在にもゲーム窯変説を解明し得るゲーム作家ならびに開発者は殆ど存在していないと思われます。
ゲーム機の性能が停滞したかと感じられた90年代末期に、開発者たちがゲーム性解明の方向へ進むものと信じていたのですが、遙か想像を上回る性能を持った次世代機の台頭が別の道を用意してしまったようです。
X-BOX360やプレイステーション3がグラフィック性能や容量の多さを売りにしているうちは未だゲームの本質が解明される事はないものと思われます。これは私たちユーザーの責任でもあり保守を善とする怠惰でもあるのです。
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コメント
凄い切り口にビックリした。そのうちメッセンジャーで語りましょう。
投稿: eki | 2005/12/23 20:05
書き倒してるな~バブシカさん(^^;。っていうかそれほどまでにメガドラスペハリIIに言いたいことがあったというのは、ファンゆえの叫びというところでしょうか。スペハリに関しては僕も一言ありますので、っていうか以前GTSさんのところに書いたかも知れませんが、本日ブログの肴とさせていただきたいと思います(^^;。ちゃっかりネタを拝借~。
投稿: クリス | 2005/12/23 21:18
>液さま
メッセンジャー登録して見たのですが、まだ使い方がよく分かりません。もう暫くお待ちくださいませ。
>クリスさん
書くネタがなくなると云う事はないのですが、何を書こうかなあと思う時に友人や知り合いのブログって参考になったりしますよね。
今風に云うとインスパイアってところでしょうか。
私もネタ拝借する事があるかも知れませんので、その時はよろピクピクピク膣痙攣です。
投稿: 管理人バブシカ | 2005/12/24 09:23