スペースハリアー X68000
1980年代中盤から後半にかけてアーケードゲームをオリジナルとした他機種への移植版が市場を賑わせました。ユーザーがその出来映えに一喜一憂を覚えた懐かしい時代です。
当時はアーケードゲームこそがハード面での王者でしたので、移植版の扱われ方は「あの名作が家庭でも遊べる」と云う劣等に裏打ちされたものだったと云っても良いでしょう。家庭用ゲーム機の貧弱な性能と少ない容量ではアーケードゲームの完全移植は望むべくもなかったのです。
それでもファミコンで発売された初期ナムコットシリーズのギャラガ、マッピー、ディグダグ、ゼビウスなどは素晴らしい出来映えを誇っており私たちを夢中にさせてくれました。
オリジナルの完全移植とは云えない作品群ではあったのですが、ファミコンでも楽しめるようにマイナーなカスタマイズが施されていたのです。グラフィックはもとより操作感やシステムにも手が入れられていました。その改修は苦肉の策だったとも取る事が出来ますが、移植を担当された開発者のセンスが多分に含まれています。
削っても良い部分、絶対に残さなければならない部分の取り捨て選択が見事であり、またそれを再構築する力が名作の移植を名作のままにし得たのです。
逆に云えばセンスの悪い移植もあった訳です。ファミコンに参入したばかりのカプコンなどはグラフィックの再現にばかり腐心していた為か、移植はおろかゲームとして遊べない作品を連発していました。1942や魔界村などは期待していただけに悄然とさせられましたね。
上の画像はシャープのX68000と云うパソコンで1987年に発売されたスペースハリアーの移植版です。開発は当時の人気雑誌ベーシックマガジンでお馴染みの電波新聞社となっています。
X68000は当時40万円もしたハイエンドPCでしたが、それでもスペースハリアーを移植するには非力だったと云わざるを得ません。
しかしスペースハリアーのゲーム性を見事に捉えた名移植として現在にもその名を轟かせています。
オリジナルとの性能の相違からスプライトが小さく画面に表示される質量も低いのですが、プレイした感覚は紛れもないスペースハリアーだったのです。
特に操作性が素晴らしくオリジナルが持つ本来の3Dシューティングの部分を楽しむのであれば、このX68000版に軍配が上がるとしても大袈裟ではないほどです。
高価なPC本体を所持していなかった私は友人とソフトだけを購入し、電気屋の試遊台で毎日遊んでいました。
オリジナルではない移植版を遊ぶ意味は正しくここにあると思われます。
貧弱なハードへの移植だからこそ見出せるその作品が持つ本来のゲーム性が浮き彫りになるのです。優れた移植だけでなく粗悪な移植からでも逆説的にゲーム性を分析する事も出来るでしょう。
私は当時のアーケードゲームから家庭用への移植全盛の頃を体験出来て良かったなと思っています。ゲームの本質をオリジナルと移植版と云うテキストから勉強させられたのがその理由です。
現在では家庭用のハード性能もアーケードを追い越してしまい、移植版の方がオリジナルを凌駕している事も珍しくありません。
錯綜した情報の中から何らかの正解を見付けると云うのは本当に難しい事です。選択出来る自由が本当の裕福だとは云えませんからね。制限があったればこそ思考が深く奥へ伸びて行く可能性が高い事実も無視は出来ないでしょう。レトロゲームの価値とは案外こんなところにあるのかも知れませんよ。
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コメント
とても面白い話であり視点ですね。コナミのグラディウスIIやサンソフトのファンタジーゾーン、マークIIIのスペハリもそういったトコロに属するタイトルではないでしょうか。
移植というのは概ね「劣化コピー」であったわけですが、実際はそんな中にもスピリットは生きているわけで、そうした制作者、移植スタッフの純粋に作品に対する想いみたいなものが案外「名作」にとても重要な要因なのかもしれませんね。
個人的にPCE「R-TYPE」の4面終了時のデモなんかはスッゴク好きで、原作を超えているなぁなんて思ったモノです(^^)。
投稿: クリス | 2005/12/20 14:21
6001のゼビウスやスペハリにキケンな愛情を感じた。
投稿: eki | 2005/12/20 23:26
>クリスさん
名前の挙げてくださった移植はいずれも良作ですね。
R-TYPEは前後編に分けたところにポリシーを感じました。ハドソンの大英断でもありますね。前編はかなり遊んだなあ。
>液さま
あそこら辺の移植って名前がなかったら何のゲームか分かりませんでした。若い頃のイマジネーションって偉大だったのだと思う次第であります。
投稿: 管理人バブシカ | 2005/12/21 03:18