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2006.01.02

謹賀新年2006

takekoma

結婚すると生活の縛りがそこかしこに生じるものです。
血縁を決定付ける紙切れ一枚が、常識と云う慣例を道徳の名のもとに強要するのです。

盆暮れ正月冠婚葬祭……無宗教の私には何ら関係のない催事が詰まらない足枷を纏繞させて、それぞれの実家へと重い足を向かわせます。

まあ、これだとて慣例を口実とした寄り合いだくらいに考えれば気も楽ではあります。

ただ思うのは、元旦にする挨拶と平生行う挨拶には歴然とした相違があると云う事です。他人の捉える重みに差があると云う実際です。

心の籠もった挨拶であれば「明けましておめでとう」だろうが「おはようございます」「こんにちは」だろうと一向構う気遣いさえ見出せないと云えるでしょう。
便宜上、挨拶文を出しましたが、その言葉すら不要であるのではないかと思えるのです。礼儀としての挨拶が不要なのではなく、慣例の中に込められた道徳として強要させられる挨拶には、果たしてどんな意味があると云うのでしょう。

道徳の典範とは行き着くところ共産主義の理想である……

妻の実家近くにある有名な神社に行きました。
賽銭を投げ無心に自らの保身と法外な要求を祈る人たちに群盲を見ました。
おみくじを引き一喜一憂する人たちには冷酷な憐憫を感じました。
屋台で扱う粗悪な食料に暖を取る子供には純粋がありました。
厄年であろう妙齢の女性が購入した破魔矢には危険な無味を嗅ぎました。
訳も分からず連れて来られた室内犬の衣服には裕福を見せられました。
病気の父親の為にお守りを買わなければ許されない妻にあったのは諦念に相違ありません。
私は賽銭を入れて手を合わせる事でこれを正月だと思い込む事にしました。

妻の実家で飲みたくもない酒を酌み交わし、興味のないテレビ番組を見る事で時間を共有しただけで正月は終わりました。
私の磨り減らした神経と時間の代償は、義理の親の満足そうな表情に他ありません。
作られた社会に組み込まれて生きて行かなければならない私たちに芽生える疑問とは、それはそれで大変危険な思想であると云えるでしょう。

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