カラテカ
1984年に米ブローダーバンド社から発表されたAPPLEⅡ用のアクションゲームです。
作者はプリンスオブペルシャと同じJordan Mechnerさんとなっています。
ファミコン版ではクソゲーの大本命と見なされている本作ですが、オリジナル版はゲーム性も高く印象ほど詰まらないゲームとは云えません。
特にグラフィックが素晴らしいと感じます。APPLEⅡの貧弱な色数が逆に作用して、浮世絵のような独特で明快なディフォルメを形成するに至っています。これは間違いなく作者の意図した部分だと云えるでしょうね。
初期の格闘物としては操作体系も練られています。直立不動からの移動、構えは云うに及ばず、上中下に振り分けられる攻撃、敵攻撃の相殺などは現在にも通じるシステムであり源流を見るようでもあります。安易にジャンプを組み込まなかったゲームシステムは素敵ですね。
ゲーム的に見ると理不尽な部分も多く存在します。走行中に攻撃されると一撃死するところや、障害物である柵に挟まれても一撃死します。また扉に触れただけでもダメージを負ってしまいます。
ゲーム後半、自機の場所に依り鷹に連続でダメージを受けてしまうのも辛いところです。
このような古いゲームの文法とも呼べる負はありますが、本作にはそれを補って余りあるほどの美点が存在します。
それはゲーム内の演出です。
物語としては敵の要塞に忍び込み姫を助けるまでの短いものとなっているのですが、ゲーム進行に合わせて行われる演出の巧みさには舌を巻きます。
独房らしき所に閉じ込められたマリコ姫には寂寥を感じますし、ボス敵アクマが部下に指示を出す部分には強力な権柄を見出せるでしょう。
そして主人公カラテカ目指して走り来るザコ敵には相互の緊張が込められています。
これが映画で云うところのカットバックで挿入されるのが斬新な演出となっているのです。
しかもゲーム内で使用されているキャラグラフィックのみで作られている事から統一感を作り出しています。
最近のゲームにありがちな無理に誂えたムービーを見て嫌悪感を催されるのは私だけでしょうか?
そこには映像演出に進みたくても進めなかった制作者の無能と自己満足が垣間見られます。またはクリエーターと云う立場に勘違いして酔っ払った彼らの増長が感じられます。中には自らを監督と称して雑誌にそう掲載させている勘違い野郎さえ存在しています。
ディスクの容量を無駄に埋めようとしているであれば年末の道路工事をさえ想起させるのです。大人の事情とも取れますし非生産的なオナニーの臭いを嗅ぐ事も出来ます。
入れなければならない当然のものとして何の考えもなく扱われているのであれば、それはsexの際にバイブを使わなければ女が喜ばないとするのと一般です。きっとAVの見過ぎですよ。
ムービーを挿入する事で絵の統一感を破綻させて、作品の中に於けるプレイヤーとの一体感を裁断する意味とは一体どこにあるのでしょうか?
32bitCPUを積んだ次世代機登場以降に迷走を続けているクリエーターの皆さんはそろそろ大きな岐路に立たされていると自覚した方が良いと思います。
カラテカの演出は最低限でありながら最高の効果を出しているテキストとして見逃す事の出来ない作品と云えるでしょう。
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コメント
お。ペルシャ繋がりでやっぱりカラテカが来た!
昔ながらのゲーム文法という点は難しいゲームをなんとかしてクリアするという要素を多分に含んでいると思われます。
難関らしきものを乗り越えたように錯覚させ、明確な形でご褒美を提供し引き込んでいくその後の「優しい」ゲーム構築手法はカラテカがクソゲーと呼ばれた点の裏返しなのかなぁ、と思ったり。
押し寄せる敵をなぎ払って爽快感を提供するのとは逆で、目の前の不可避な困難に立ち向かうという意味で。
投稿: eki | 2006/01/13 23:53
ゲーム性の在り方はひとつではないので、最近のゲームを否定する積もりはないのですが、ここ10年ほどの間に何か大事な物を置き忘れてしまった感がありますね。
そこにゲーム離れしていった人たちが求めていた何かがあったのは間違いないのではないでしょうか?
投稿: 管理人バブシカ | 2006/01/14 02:27
クリアできた事の達成感、かも知れませんね。
ユーザーの低年齢化とコンシューマという形態によって、ゲームに対する「挑戦」の意味合いが薄れたのではないかと考えています。購入した商品は「掛かって来い」ではなく「お買い上げありがとうございます」ですから。
でも、あと数十年もすれば「挑戦」の時代が繰り返されて、今日の優しいゲームが高く評価されるのかも。
現にファイナルファンタジー等の欧米での評価は丁寧な作りこみを易しい難易度で最後まで見せてくれる点にあったと聞きます。
カラテカで決死の思いでタイミングを見計らい、柵に飛び込んだ後の生命の深呼吸。それは作られた感動ではなく勝ち取った感動でした(むしろトラウマに近いかw)。
投稿: eki | 2006/01/14 03:47