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2006/07/23

罪と罰

Tonbo先日、極楽とんぼの山本さんが未成年者への婦女暴行の廉で送検されました。
それについては特に思うところもないのですが、以後の関係者や知人友人のコメント態度に釈然としないものを感じてしまいます。

確か山本さんって以前から少女好きをメディアで公言していましたよね。ましてや乱れた性生活をネタにして糊口を潤していた感さえあったと記憶しています。
と云う事は、関係者や知人はおろか相方である加藤さんだって事件に繫がり兼ねない彼の日常を認識していた筈なのです。

謝罪会見で見せた加藤さんの涙は本物である事に疑いを持ちません。
しかし最も身近にいて誘掖してあげられる立場にいた人の涙としては信用を置けません。そこには上滑りだけを良しとする曖昧な関係をしか想起出来ないからです。公で涙を流す前にやるべき事があったのではないか。長年苦楽を共にして来た相棒であるからこそ、指摘し難いだろう案件を敢えて指摘しなければならない苦い時間が必要だったのではないか。

テレビ局側も被害者面をして苦々しい態度を顕わとしています。
山本さんの性生活やロリータ嗜好を面白おかしく電波に乗せて全国へ発信していたのはどこの誰ですか? そりゃあ番組差し替えやら放送延期などで忙しい事でしょう。しかし散々無責任を消費するだけとしいて、いまさら被害者面するなんてムシが良すぎますよ。

事件として発覚したから個人が悪人へと豹変する訳ではないのです。
悪を行った時点で個人は悪となり断罪せられる権利を有してしまうのです。現在の風潮では犯罪を行なっても逮捕されるところまで進まなければ良しとなっていますよね。社会がそれを許容してくれている訳です。村上ファンドしかりホリエモンしかりです。

はっきり行ってモラルが低下しているのだと思います。悪を悪として判断し裁断出来る規矩が教育されていないのでしょう。
以前NHKの若者討論番組を見ていた際に「どうして人を殺しちゃあ駄目なんだ?」と云う意見があって大きな衝撃を受けました。これについては推して行くと別次元の話になりそうなので省きますが、これほどまでに日本が進めて来た道徳が退嬰を欲しいままにしてしまっているのです。

知り合いの大学生のブログを読んだところ今回の山本事件については、ただ大好きなテレビのコーナーがどうなるのかと云う心配しか書いてありませんでした。好き嫌いを超越したところに道徳はあるものですが、それを前提とした個人の考えさえ脳を働かせていないようです。
中国人の民意が低いと云う前に、自国の基盤たる思想道徳を見詰め直す時期にあるのではないでしょうか。早めに手を打たないと少子化問題と合わさる事で、取り返しの付かない未来が約束されているものと感じています。

まあ、しかし今回の事件を殊更大きくしてしまう引き金を仕組んだのは金ちゃんなんですけどね。

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