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2006.12.31

ゆく年くる年 (下)

仲間と別れる寂寥感の他には、パンを得る為の実際的な不安を感じます。
私は準社員として契約している事から他店舗への異動が約束されてはいます。しかし、これまでタイトーで働き見て来た不義理の数々に、我が身を打ち震わせない訳には行きません。

契約上で仕方がないから他店舗へ異動。その異動先で出勤日数を減らす。生活出来ない人は自主退社……。または通えないだろう遠隔地に異動。嫌なら辞めて下さい。これがタイトーのやり方です。

正直云って私は仕事の出来る管理者ではありませんでした。小乗仏教の原始的な教えとしてある、自らを全うすると云う意味での仕事には邁進する覚悟を持っています。具体的に云えば目の前にある仕事に悔いを残したくないとする我が儘だけは人一倍ある積もりなのですが、それは店舗内での仕事にすると心を込めた単体への接客であったり、手を抜かない掃除だったりします。
こと管理者として最も大事だと思われる売上を伸ばす方向性を定めたり、それを従業員に教育すると云ったリーダーシップを所持せずに過ごして来てしまいました。
これは自分さえちゃんとやっていれば救われるとする自己満足と、この仕事が天職ではないと考える無責任に他ならないでしょう。

また実際の私を知っている方は社交性に長けているとお思いかも知れませんが、事実は逆を向いています。適う事ならば人間との接触を避けたいくらいに考えています。
これが次の職場へ赴く際の不安材料ともなっています。これまでは長く同じ職場にいた為に自らのキャラクターが確立されていました。仲間内には云わずもがな、タイトー内であれば「エロ暴れん坊」「問題児」くらいの情報が流通している事でしょう。

全く新規の職場へ行き着いた際には、一から自己紹介をしなければ許されない環境に置かれる筈です。はっきり云って面倒臭いですし、自身が受け入れられるものだとも思えません。また何かなめられるような態度を見せられでもしたら暴力事件のもと退社させられる可能性も大なるところです。

その前に仕事が見付かるのか? と云う問題が浮上して来ます。
相応に見られた事はないのですが36歳と云う年齢もネックとなるでしょうし、運転免許証はおろか役に立つ資格ひとつすら持っていません。レトロゲームに詳しい、プラモが作れる、ちょっと文章と絵が描ける、意外とSEXが上手……う~む、まったく役に立ちませんねえ。

妻を養えるだけの食い扶持が稼げるなら死体洗いでも何でもする積もりではありますが、今日日それさえもコネがなければ出来ないそうです。世知辛い世の中に出て行かなければならない自らの非力さを痛感させられますね。

ここらを考えるとこのままタイトーのお世話になるしかないのかなあとも思います。最悪減らされた出勤の分はコンビニを掛け持ちして賄う事になるでしょうか。
根が楽天家なので実際はそれほど不安視してもないんですけどね。この程度で悩む神経の持ち主だったら今迄生きて来られなかった事でしょう。

……もう一回くらい続きます。

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2006.12.30

ゆく年くる年 (中)

来年早々に生活の地盤が緩む事となりそうです。
いま働いている店が潰れてしまう事になったからです。二十歳の頃に入社して16年……いやはや長く働いたものです。アルバイト採用から始まり程なくして準社員にさせられると、本人の意志とは関係なく店舗の管理者を任される立場となりました。まあ、砕けて云いますとタイトーのゲーセンで店長をやっていた訳です。

仙台の繁華街にある店で、売り上げの良い時分には新宿歌舞伎町に次ぐ坪単価を稼いでいた事もあったそうです。私が働き出した頃には既に右肩下がりとなっていたものの、それでも現在の10倍近い売り上げを誇っていました。
しかし数年前から赤字店舗の烙印を押され、閉店するのも時間の問題かと囁かれていた事もあり心の準備は出来上がっていたのですが、実際に引導を渡されると格別な感慨を提供させられるものですね。
物事に拘泥する性質でもないので悲しいとか悔しいなど具体的な負の感情が生ずる訳でもないのですが、漠然とした寂寥感は確かに残ります。その出所を探れば人に帰結する事でしょう。

私は友達とか仲間と云う表現に虫酸が走るひねくれ者なので安易には使いたくないのですが、便宜上ここでは仲間と云う言葉で進めたいと思います。
小さな店で人員を多く必要としない形態であった為、常に6人程度の最小構成で運営していた事になります。人数の多いところではそれ相応の難しさ、少ないところでもそれなりの問題はあるものだと思います。私たち仲間はその点では上手く交際していた方だと云えるでしょう。会社からは変人の巣窟、落ちこぼれの集まりなどと揶揄される事が多かったものの、皆が皆個性的で善良な人間でした。

個性的とはどう云ったものだと思われるでしょうか?
個人と云う字ズラから見ても人にはそれぞれの特徴がある筈です。千差万別、十人十色、同様が存在しないにも関わらず、敢えて個性的と云う表現が使用される意味を見出だせません。それでも個性的と云う言葉が良い方向で使われる理由は没個性が悪として存在するからです。
没個性とはこれも字ズラ通りに個性を抑えていると云う意味に介せます。個性を隠す理由は世間への迎合として間違いないでしょう。世間とは個が見渡せる程度の範囲でしかありません。人はその狭い世界で自らを恙なく活動させる為に没個性を発揮するのです。特例を許さない日本と云う国家が徳川時代に設えた保守の推薦です。

貴方は流行に乗る事の便利さを痛感した事はおありでしょうか? また自らの経験と知識からのみ導き出される批評眼に重きを置いて言動を顕わとしていますか? また他人の批評眼を相違からのみで批判した事がありませんか?

個性とは偽らない自分です。阿る事を知らない思想です。他人を遮らない融通です。そして他人を労る行動が人間を人間らしくする道徳なのです。ここに至って個が完成するものだと信じています。

私と職場を同じくする仲間はこの点に於いて個性的でした。逆に云うと、自らに嘘をつき見栄を張る人、自身がどこから生まれ出たものか判然していない人、自らの庭園を恥だとして公とする事に躊躇する人……これらの人にとっては決して馴染めない職場であった事も想像に難くありません。嘘はその場で容易く看破され、恥部を冗談として周囲に云いふらされるのですからたまったものじゃなかったでしょうね。辞める人は三日と保たず、長くなれば五年、十年選手となる事が実績とも受け取れます。T大学法学部を卒業したにも関わらずフリーターとなってしまった不憫な子まで存在します。これは私たちの責任……なのかな? まあ本人の選んだ道ですから知ったこっちゃないとしても良いでしょう。

仕事と私生活の境界線を設ける事なく密な関係を続けて来た仲間との別れが寂寥感の出所なのは確かです。退職したものの交歓を継続している仲間も存在します。職場がなくなるとこのような人たちとも相対する機会が失われる事になります。中にはニート状態の人もいて、唯一世間への窓口となっている感もあるので残念としか云い様がありません。
だからと云って無理に機会を設けてまで会う必要も感じられなかったりします。世間的に見て、それは仲間ではないのではないか?と云われても仕方がないのですが、ここらへんは自然の流れを重んじるばかりに冷酷と取られる由縁ともなっています。
どうしてもと云う場合はメッセンジャーやmixiなんかで連絡が付けられるから大丈夫だろうとしか考えていないんですけどね。

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2006.12.28

ゆく年くる年 (上)

2006年今年も残り僅かと云う事で一年を総括して見ようかなと思います。
本来このブログでは個人的な日記や日々の所感などは書かないとする制約を以て進めて来た積もりなのですが、たまには枷を外して徒然なるままを書き記して置くのも一興かなと考えた次第であります。

個人的な日記をwebで公とするのを潔しとしない理由は、一庶民に過ぎない私の退屈な日常など誰も期待していないだろうし、興味も持ち得ないだろうとする考えから来ています。
もともとがOKINIIRIと云うタイトルの示すように、私個人の趣味に適うゲームや小説などをアトランダムに紹介する目的で以て始めたブログではあります。幾つかの例外はあったかも分かりませんが、ひとつひとつの記事に何らかのテーマを埋め込む事で文章を綴って来ました。

あくまで客観の目で分析したものを俎上して来た積もりではあるのですが、揮う筆には個人的な好悪や全てを看破出来なかったが故の偏見と云う癖が現れている筈です。これは均衡を取れない秤が極端に傾くのと一般の作用だとも云えるでしょう。
個人の極端や偏見は時として、それを許容出来ない他人へと不快感を提供してしまうものです。一時期2ちゃんねるで結構な攻撃を受けてしまいました。
実際に難癖を付けていたのは極少数(多分1名のコナミ信者で私とネット上での関係があった或る人物)でしかなく、幾人かの見ず知らずの方がフォローしてくれていた事には少しく喜悦を覚えました。

また反対では意見に共感してくれている方もあり、私の記事を紹介してくれていたり引用しているサイト様も案外多く見受けられました。それは個人ユーザーであったり雑誌のライターであったりゲーム制作者など多岐に渡っていて驚かされました。きろ様のサイト経由でEMU FRANCEに紹介された事も大きかったようで、以後様々な国の方が訪れるようにもなりました。
そこから交歓を組みするようになった数人も存在します。未だお互いの顔も見知らぬオンラインの知人と云える方たちですが、腹蔵なく語り合える間はお付き合いさせていただきたいと願っております。

リアル友人との別離もありました。
小学校の同級生であった彼とは二十歳の頃にあった同窓会以降10数年来の付き合いだったのですが、詰まらない事で袂を別った事になります。
具体的に云うと、私の悪口を書いたメールを送信ミスして私に送って来たのです。
これについて私は何とも思っていないのですが、彼が過剰に気にしているようで以後顔を見せなくなってしまいました。
私も彼も聖人君子ではない訳ですから、相互に不満を持っていても不思議には当たりません。正直に云えば、私が彼の悪口を他人に漏らした事だって少なからずあるのです。結局は露見したかどうかの違いでしかありません。自らのさもしい口を棚に上げてまで友人を非難するほどの偽善は持ち合わせていないのです。また自分の知らないところで何らかの非難を受けているのは当然の事なのではないでしょうか? 皆さんにも経験がある筈です。当然ないとは云われないでしょう。

善意があれば相対して悪を指摘する事も出来ますし、悪意があればそれは別の他人に媚びる為の技巧なのかも知れません。ただ単に嫌われていると云う可能性も否定出来ません。私にはどちらでも関係のない事としか受け取れないのです。自らの悪口を書かれたメールを読んで内容にほくそ笑んだくらいですから、冷めているとすればそう云えなくもないのでしょうね。

だらだらと次回に続きます……

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2006.12.23

ナルニア国物語

Narnia

今年3月に公開されたディズニーの実写映画です。
原作は英作家C・S・ルイスの児童文学で、世界的にも「指輪物語」に継ぐ知名度を持っています。

かなり昔から映画化の話は出ていましたが、今回やっと実現した最大の理由は「指輪物語」の大ヒットを受けてのものとして間違いないでしょう。
壮大なファンタジー小説と云う部分で内容も一致していますし、実際に指輪の作者J・R・R・トールキンとの親交が強い影響を与えて、ルイスにナルニアを執筆させる機会を作りました。

キリスト教作家としても有名なルイスですので、ナルニアにもその思想が色濃く反映されているとする向きもありますが、これが作品の価値を上下させるものではありませんし、ひとつの文学を純粋に楽しもうとするのならば無駄な勘繰りに過ぎないと云えるでしょう。指輪物語を第二次大戦になぞらえて読む無粋にも通じます。こう云うものは批評家に任せておいて、私たちは自分の持つ好悪の感だけを信じて作品を評価したいものです。


映画版「ナルニア国物語」なのですが、正直云ってあまり良い出来映えとはなっていません。
内容自体は原作を或る程度忠実に再現しているので楽しめない事もないのですが、映画としての表現方法が稚拙の域を出ていないのです。ここに映画版「指輪物語」の悪い影響が読み取れます。

今回の映画化に於いてディズニーが最も腐心した部分は、原作「ナルニア国物語」を忠実に再現するのではなく、映画版「指輪物語」の雰囲気を模倣する事だったのだと思います。
具体的には映像表現の模倣を目指しています。
人物と風景の構図、カメラの位置、色彩、コマ送りコマ落とし……羅列していたらキリがないほどです。先ずは分かり易い映像を真似て「指輪物語」の客を引き込もうと云う商業的戦略があった事が窺えます。

また「指輪物語」自体が世界的な大ヒットを記録したものの優れた映画とはなっていません。シナリオは適度にあくまで適度に完成されていますが、やはり映像表現が稚拙で人物を絡ませた構図の均衡が取れていません。特撮部分にはこれまでになかった表現力が認められるものの、色彩に単調と云う負が目立ち過ぎています。
本来ならば特撮の負をカバーしてくれるであろう役者の演技がまた最悪の部類です。そうして監督ピータージャクソンが輪を掛けたドサンピンなため、ドラマを強調させようとしてコマ送りを多用する事で観客を辟易させてくれてます。

内容としては、三部作に分けたものの元が長編小説なので描き切れない部分があるのは分かります。しかし原作を底まで読み切れていないせいで、まだまだ全然無駄が多すぎるのです。
映画版「ハリーポッター」の第一作目も同様な罠に陥っていてダイジェスト版の様相を呈していると云えるでしょう。

ここに人気原作ものを映画化する難しさが潜んでいますね。
忠実に従おうとすれば尺によるハードの限界が出て来ますし、二時間に集約しようとすれば、最悪原作を知らなければ内容が理解出来ない映画となる可能性もあります。
また原作を借り映画として完成させたらさせたでファンが納得しません。原作Sキング「シャイニング」に於けるキューブリックの映画版など。
また黒澤明「八月の狂詩曲(原作は鍋の中)」などは原作者が文藝春秋に批判文を書いていましたね。

これってゲームの移植版にも云える事なのですが、そのハードに則った作品をオリジナルとして作るに越したことはないと云う訓戒とも受け取れませんか?

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2006.12.15

横山宏Ma.k.モデリングブック

Makbook

今月2日に発売されたプラモデル制作に特化した大型本です。
発売元はモデルグラフィックスでお馴染みの大日本絵画。定価は税抜きで¥3800となっています。

当初、近くの本屋で購入しようと思っていたのですが、通えども通えども入荷せず、遂には我慢出来ずアマゾンで注文してしまいました。品薄で発送までに2~5週間かかるとの事でしたが、まあ入手出来ないよりは良いだろうとして気長に待つ考えでいました。
しかし友人からの情報で、セブンアンドワイ(セブンイレブンの通販本屋)ならば即日発送していると教えてもらい、アマゾンをキャンセルし二日後に無事購入。
終業後帰宅途中に最寄りのセブンイレブンで受け取りを済ませて、帰宅後に速攻で読了しました。

これは素晴らしいハウツー本です。
私は基本を学び、忘れないと云う意味でハウツー本をよく購入するのですが、今迄にない種類の内容に満ち充ちたハウツー本として感動しました。

これまで模型のハウツー本としては、MAX渡辺さんの「パーフェクトモデリングマニュアル」上下巻が有名でした(下巻は絶版)。現在だとホビージャパンで連載中の記事を纏めた野本憲一モデリング研究所こと「ノモ研」が最も入手し易いハウツー本として存在しています。
両著とも初心者からを対象にした親切で分かり易い優しいハウツー本ですね。道具の種類扱い方から、パテなどの特殊マテリアルの紹介、ヤスリの研ぎ方まで詳細に教授してくれています。

これに比べるとMa.k.モデリングブックはかなり異質なハウツー本となっています。
基本的に初心者をフォローするような内容とはなっていません。対象は模型製作の基礎を押さえている中級者から上級者、またはプロに向けられていると云っても良いでしょう。
しかし、だからこそ模型を作った事もない人たちに読んでもらいたい内容ともなっています。

MAX渡辺さんや野本憲一さんの著書はハウツー本として大変優れているのですが、プラモデルを作るには「こうしなければならない」と云う暗黙の了解を知らしめる為の縛りを与える負を含有しているとも思えるのです。
本来が趣味である模型製作ですから、個人によって楽しみ方は千差万別存在する筈です。しかしハウツー本とは上手く作る為の手順を列挙する前提のもと編纂されているものとなっています。

模型製作と云う豊かな趣味の世界に足を踏み入れ、もっと上手になりたいとしてハウツー本を読んだ初心者は、その膨大な約束事にがんじがらめに捉えられる事でしょう。
いざその技術や行程を実践して見ようとしても巧く行えず、最後には楽しく思えなくなり模型と云う趣味を放擲してしまう……そんな可能性だって少なからず有り得るのではないでしょうか?

横山宏さんが提唱する模型製作のあり方は「なんでもあり」に近いとも感じます。
もちろん技術力の蓄積からなる模型製作ですから、Ma.k.モデリングブックにも様々な高等テクニックが紹介されています。しかし無理強いをしないのがマシーネンクリーガーの模型製作法ですし、今迄に知らなかった技術が知識と経験から導き出された上で紹介されているので、読者の知的好奇心をくすぐる事で「やってみたい」と確実に思わせてくれるのです。

特に横山宏さんは本業がイラストレーターですので、塗装に関しての記事はこれまでの模型誌では語られる事もなかった本物の技術に裏打ちされています。この部分だけでも¥3800を払って十二分にお釣りが出るほどの記述がなされています。
現在ではエアブラシのみで仕上げられた作例が善であるとする風潮に染まったプラモデル業界ですが、基本である筆塗りの素晴らしさも再確認出来ます。

ここで個人的な感想を書かせてもらいますが、筆塗りって本当に面白いんですよ。
エアブラシ塗装では絶対に味わえない充実感がありますし、何よりも簡単に扱えるのが良いところです。そうして筆の運びひとつひとつが個性となり模型を形作って行くのですから詰まらない理由が見当たりません。
誰でも行えるだけに難しい部分を含んでもいるのですが、失敗した時のリカバリーはエアブラシよりも簡単だったりします。Ma.k.モデリングブックにも書かれていますが、ヤスリで塗装面を削って整えたりしても悪とはなりません。
その上にまた色を重ねて行く事で深み出て正解に近付いて行く感覚を味わえると云えば良いでしょうか。

エアブラシ塗装は最初にお金をかけて道具を集めてしまえば、あとは無個性を表現する手段としか成り得ないとさえ考えます。
極論かとも思いますが、実際にエアブラシで個性を出しているモデラーの作品って殆ど見た事がないんですよね。まあクリスチャンラッセンとかが好きな方であれば文句はないのですが、あれを毎回見せられて感動する事はないのではないでしょうか。私は油彩画にある絵の具の凹凸で勃起する人間なので特にそう思います。


少し話が逸れてしまいましたが、Ma.kモデリングブックには高等テクニックではあるけれども無理なく実践出来る技術が目白押しと云えるほど記載されています。また今迄基本テクニックだと思っていた技術を考え直す切っ掛けともなるだろう実際を伴った使用方法も多く書かれており、目から何枚も鱗が落ちる感覚を味わいました。
特に道具を使い易いように改造してしまう事などは、当然のようで行って来なかった事だけに感動してしまいました。プラモは改造するのに通常使用している物を改良していないなんて……。

とにかくプラモデルを作っている方、少しでも興味のある方には是非とも読んで欲しいハウツー本です。特にガンプラしか作った事のない方にお奨めしたいと思います。作り方のフォーマットが確立してしまっているガンプラにも流用出来る技術が満載されていますし、新たな楽しみ方を入手出来る事を請け負います。

マシーネンクリーガーの新作メカが2体追加されているのも売りのひとつですね。
陸戦フリーゲとジレーネと云うシュトラール軍の無人ホバー戦車なのですが、そのジレーネの土台が実際の自動走行掃除機(夜中の通販で売っているアレです)となっていて、部屋の掃除までしてくれると云うのがまた横山さんらしい遊びだなあと感心してしまいます。
やっぱり趣味ですから楽しくなくっちゃあいけませんよね。

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2006.12.12

タイトーメモリーズ2 上巻 ~その9

前作が好評だったのかどうかは分からないのですが、来年の頭にプレステ2で発売されるそうです。定価¥5040。
今回も収録作品数は25本。一見したところなかなかバラエティに富んだラインナップとなっています。いつものように個人的な評価を★印として全作品を紹介して行こうと思います。


Undoukai

THE運動会 ★★★

1984年に発表されたオムニバス形式のスポーツゲームです。

平たく云ってしまえば、前年にコナミから発表され大ヒットを記録した「ハイパーオリンピック」の二番煎じですね。

平行に配置されたABCの3ボタンを用い様々な競技を行います。
AとCが所謂「走る」ボタンで、真ん中のBが「タイミング」ボタンとなっています。
後発作品である為に「ハイパーオリンピック」よりも複雑な競技が多く、ACボタンを連打しながらBボタンをタイミングよく押さなければクリア出来ないものが殆どです。

●玉入れ
●二人三脚
●リングベル
●障害物競走
●ソフトボール遠投
●120Mリレー
●綱引き

七つの競技があり全てクリアする事でクオリファイが上がりループします。
各ゲームとも趣向が凝らされておりなかなか面白いのですが、先ず最初の玉入れが難しすぎますね。実機で遊んでいた頃は全くクリア出来ませんでした。
以下のゲームでは障害物競走にも難があります。途中パンを咥えなければならないのですが、ここでミスするとその場でリタイアとなり、対戦相手またはCPUがゴールするまで何も出来ずにゲームオーバーを待たなければなりません。これはちょっと遊ぶ側の事を無視したシステムだと云えるでしょう。

「ハイパーオリンピック」と「ハイパースポーツ」の中間に位置するテクニカルな種目が多く興味はそそられるものの、理不尽なシステムがプレイ感の邪魔をしてしまっています。二番煎じとは云え少し残念な作品ではありますね。


Sqix

スーパークイックス ★★★

1987年に発表された陣取りゲームです。

云わずと知れたタイトーアメリカ不朽の名作「クイックス」の現代版として当時リリースされました。
原作はベクターゲームを思わせるハイセンスなグラフィックスとクールな内容で一世を風靡しましたが、今作はどうしようもないほどの格好悪さを体現していますね。クイックスの大ファンである私はかなり憤慨した記憶を持っています。

しかしゲームとしては紛れもないクイックスのシステムが踏まれている事から、問題なく楽しめる内容だとも断言出来ます。
この2年後にクイックスフォロワーの決定版とも云えるMTJ氏の「ヴォルフィード」が発表されます。
それ以後もカネコ社「ギャルズパニック」シリーズがクイックスの血脈を現在にまで伝え続けています。スーパークイックスも同社の制作です。


Retofinv

リターンオブザインベーダー ★★★

1985年に発表された固定画面シューティングゲームです。

当時は今更インベーダーもないだろうと思いましたが、綺麗なグラフィックスときらびやかなサウンドに誘われて結構遊ばせて貰いました。
以後現在に至るまでインベーダーの続編やアレンジ物は多く作られていますが、本作が最も良く出来た佳作と云えるでしょうね。

制作はUPL。「忍者くん」でお馴染みの藤沢勉氏が企画を担当しています。
氏はやっつけ仕事だったと語っていたそうですが、なかなかどうして細かいアイディアが散りばめられており楽しませてくれます。ゲーム性が特に高くない事から熱中出来るものとなっていないのが残念な部分ではあります。


Exzisus

イグジーザス ★★

1987年に発表された強制横スクロールシューティングゲームです。

タイトーらしい最悪のセンスを発揮した作品のひとつですね。絵、音、内容と低俗さが見事なハーモニーを醸し出しています。

「ワイバーンF-0」と同様なハーフミラーを用いたアップライト筐体が先に出荷され、後に通常テーブル筐体用のボードが出回りました。今回収録されているのはテーブル筐体用でしょうね。内容の相違もなく、ハーフミラーを使用する意味のないゲーム内容ではありました。

遊べない事もないゲームなのですが、敵が四方八方から出現する為に、体力を持たない自機は画面中央付近でしか活動出来ません。
この問題は自機の現在位置により敵出現位置を変更させる事で回避出来ます。また横スクロールのゲームであれば地形を設ける事で敵にも制限を付けると云う解決法もあります。当時既に確率されていたシステムではあるのですが、本作は通俗さえも無視したが為に低俗の域まで進んでしまったのでしょう。


Othundr

オペレーションサンダーボルト ★★

1988年に発表された疑似3Dガンシューティングゲームです。

前作「オペレーションウルフ」の大ヒットを受けて開発された続編となっています。
フロントビュー面とサイドビュー面が交互に行われるのが最大の特徴と云えますが、それ以外に新しい要素もなく、シューティングゲームとしての楽しさは減殺されています。

特にフロントビュー面に問題があります。
敵が画面奥から出現し接近して来る都合上、倒す爽快感が薄れているのです。
奥にいる敵(グラフィックス小)を倒す……画面手前(グラフィックス大)の敵を倒す……これに同等なゲーム性を与えるのであれば、簡単なやり方としては画面奥の敵を増やすのが最上だと思います。
グラフィックス大には倒す充足感を与え、グラフィックス小には爽快感を付与するのです。そして小の敵が近付いて来る事で徐々に大きくなれば緊張感も演出する事が出来たでしょう。こうする事でゲーム性にも幅や起伏が生じます。

本作ではこの辺の工夫が練られていないか考えられていないので詰まらなくなっています。新しいアイディアとして作られたフロントビュー面には耐久力の高い敵だけが存在する印象が残ります。これは破壊対象物を減少させる負の工夫となりました。

前作からあったサイドビュー面も若干ゲーム性が低くなっていますね。また幕間のストーリーを見せる一枚絵もかなり手抜きっぽくなっています。もともとが優れた企画として大ヒットした作品ではないので致し方ないのかなとも思います。ここに偶然でしか良作を作れないタイトー開発陣の無能力を感じてしまうのです。
以前の記事にも書きましたが(メガドラのスペハリⅡ)、続編を作る際の努力勉強を怠ったが為の罰と云えるでしょうね。

 
 
★★総括★★
良い作品と悪い作品玉石混淆としていますが、25本と云うボリュームが買って損をしないバラエティソフトに仕上がっていると思います。家庭用には移植されていなかったタイトルが多いのもお奨め出来る部分ですね。
前作にあった小さなバグや入力遅延などがない事を切に願います。また下巻に収録されるタイトルにも大いに期待しています。

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