ナルニア国物語

今年3月に公開されたディズニーの実写映画です。
原作は英作家C・S・ルイスの児童文学で、世界的にも「指輪物語」に継ぐ知名度を持っています。
かなり昔から映画化の話は出ていましたが、今回やっと実現した最大の理由は「指輪物語」の大ヒットを受けてのものとして間違いないでしょう。
壮大なファンタジー小説と云う部分で内容も一致していますし、実際に指輪の作者J・R・R・トールキンとの親交が強い影響を与えて、ルイスにナルニアを執筆させる機会を作りました。
キリスト教作家としても有名なルイスですので、ナルニアにもその思想が色濃く反映されているとする向きもありますが、これが作品の価値を上下させるものではありませんし、ひとつの文学を純粋に楽しもうとするのならば無駄な勘繰りに過ぎないと云えるでしょう。指輪物語を第二次大戦になぞらえて読む無粋にも通じます。こう云うものは批評家に任せておいて、私たちは自分の持つ好悪の感だけを信じて作品を評価したいものです。
映画版「ナルニア国物語」なのですが、正直云ってあまり良い出来映えとはなっていません。
内容自体は原作を或る程度忠実に再現しているので楽しめない事もないのですが、映画としての表現方法が稚拙の域を出ていないのです。ここに映画版「指輪物語」の悪い影響が読み取れます。
今回の映画化に於いてディズニーが最も腐心した部分は、原作「ナルニア国物語」を忠実に再現するのではなく、映画版「指輪物語」の雰囲気を模倣する事だったのだと思います。
具体的には映像表現の模倣を目指しています。
人物と風景の構図、カメラの位置、色彩、コマ送りコマ落とし……羅列していたらキリがないほどです。先ずは分かり易い映像を真似て「指輪物語」の客を引き込もうと云う商業的戦略があった事が窺えます。
また「指輪物語」自体が世界的な大ヒットを記録したものの優れた映画とはなっていません。シナリオは適度にあくまで適度に完成されていますが、やはり映像表現が稚拙で人物を絡ませた構図の均衡が取れていません。特撮部分にはこれまでになかった表現力が認められるものの、色彩に単調と云う負が目立ち過ぎています。
本来ならば特撮の負をカバーしてくれるであろう役者の演技がまた最悪の部類です。そうして監督ピータージャクソンが輪を掛けたドサンピンなため、ドラマを強調させようとしてコマ送りを多用する事で観客を辟易させてくれてます。
内容としては、三部作に分けたものの元が長編小説なので描き切れない部分があるのは分かります。しかし原作を底まで読み切れていないせいで、まだまだ全然無駄が多すぎるのです。
映画版「ハリーポッター」の第一作目も同様な罠に陥っていてダイジェスト版の様相を呈していると云えるでしょう。
ここに人気原作ものを映画化する難しさが潜んでいますね。
忠実に従おうとすれば尺によるハードの限界が出て来ますし、二時間に集約しようとすれば、最悪原作を知らなければ内容が理解出来ない映画となる可能性もあります。
また原作を借り映画として完成させたらさせたでファンが納得しません。原作Sキング「シャイニング」に於けるキューブリックの映画版など。
また黒澤明「八月の狂詩曲(原作は鍋の中)」などは原作者が文藝春秋に批判文を書いていましたね。
これってゲームの移植版にも云える事なのですが、そのハードに則った作品をオリジナルとして作るに越したことはないと云う訓戒とも受け取れませんか?
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