神隠し殺人事件
今回の裁判は私たち一般人が参加する事を余儀なくされた「裁判員制度」のモデルケースとなりました。
モデルケース?
冒頭に事件の残虐性をモニターに文字として表示し、検察官がそれを裏書きするように私情と取られても致し方ないほどの熱弁を揮う。
これまでの裁判でもなかった死体画像を公に曝す事で犯行の残忍さを再度植え付ける。
そうして最後には決め付けるように極刑を当たり前だと云い放つ……。
畢竟、裁判員制度とは検察側と裁判所が定めた終着へと手早く急がせる為に私たち一般人を利用した方便なのではないでしょうか?
また裁判所の語るところである「分かり易い裁判」とは他人を罰する経験を持たない私たち一般人に視覚的な衝撃を与え、語勢から生ずる雰囲気で「初めから決められた罰」に賛同せよと云う茶番なのでしょうか?
今回の求刑に異を唱えるものではないのですが、これをモデルケースだと考えると制度の在り方自体に疑問を持たざるを得ないと云うのが正直な感想です。
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