生きものの記録
1955年に公開された黒澤明監督15作品目の映画です。
十代の後半から二十代の頃はそれこそ毎日のように観ていた黒澤作品でしたが、ここ10年ほどは鑑賞する頻度が随分と落ちていました。見飽きた訳でもなく詰まらなくなったと云う事でもないのですが、日常生活の些事に忙殺されて、2時間乃至3時間ほどの余裕も見出せなくなったとするのが妥当な理由でしょうか。
停滞を余儀なくされている現状を打破したく思い、自らの精神的な骨格を形作るに多大なる影響を及ぼしてくれた黒澤作品を今一度見直そうと考えた次第です。
その手始めに選んだ映画が今回の「生きものの記録」です。
黒澤映画としては娯楽性が低い事からかマイナー作品のひとつに数えられるであろう本作なのですが、その内容たるや前年に公開された「七人の侍」にひけを取らないほどの濃い作品となっています。
簡単にストーリーを要約しますと……水爆実験の報に生命の危機を感じた主人公の老人は独断のもと、家族の反対も聞かず全員でブラジルへ移民しようとして失敗します。
頓挫させたものは自分の家族、及び社会と云う枠組みでした。絶望と自らへの悔恨の末に発狂した主人公は精神病院の中で初めて晏如の地を得る……と云うものになっています。
非常に重いテーマを持ち、主人公の取るエキセントリックな行動が不自然だとする批評も多く見受けられます。見終わって後味の良い作品とは決して云えません。
しかし後味が悪いとするには語弊があります。鑑賞後に残る重苦しさは主人公が劇中で闘ったジレンマを観客である私たちが共有した証拠であると考えられるからです。
本作が掲げるテーマの第一義はこれジレンマに他ならないと思います。正しい事を為そうとしているのに周囲が認めてくれないばかりか、最愛であり最大の理解者たる筈の家族が足許を掬う……社会が法律が自らの財産でさえ消費するのを許容してくれない……檻倉の虎となった主人公はがんじがらめの中で藻掻き苦しみ咆哮し、遂には狂人となってしまうのです。
主人公は70歳の老人なのですが、演じたのは当時35歳の三船敏郎です。抑えてはいても内面からギラギラとした力道感が溢れて来るようです。黒澤明も映画監督として油の乗り切っていた45歳でした。
抑えている力が強ければ強いほど思うようにならないジレンマは激しくなります。これが本作を見終わった後に感じる重苦しさと云う疲弊感に繋がっているのではないでしょうか。
軽い気持ちで鑑賞しようものならば徹底的に打ちのめされてしまう強い作品だと云えるでしょう。前作である「七人の侍」のダイナミックな開放感に充ちた活劇を期待していた当時の観客が不満を募らせたのも納得出来ます。
今回久し振りに「生きものの記録」を観ての感想なのですが、やはりと云うか何と云うか、こてんぱんに打ちのめされました。
脚本や映像、編集と云った技術的な完成度はもとより、とにかく精神に応えました。今回私が改めて学んだ事柄は、自らが正しいと思った道ならば他人を埒外に置いても正しい道とせよ……に他なりません。例えその結果が狂人であるとしてもです。
もし自らが信じられず迷走していると感じている方があるならば、是非とも本作と向かい合って見る事をお奨めしたいと思います。真面目であればあるほど真摯な山彦が返って来るかも知れませんよ。
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