« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »

2009/08/24

生きものの記録

Lf

1955年に公開された黒澤明監督15作品目の映画です。

十代の後半から二十代の頃はそれこそ毎日のように観ていた黒澤作品でしたが、ここ10年ほどは鑑賞する頻度が随分と落ちていました。見飽きた訳でもなく詰まらなくなったと云う事でもないのですが、日常生活の些事に忙殺されて、2時間乃至3時間ほどの余裕も見出せなくなったとするのが妥当な理由でしょうか。

停滞を余儀なくされている現状を打破したく思い、自らの精神的な骨格を形作るに多大なる影響を及ぼしてくれた黒澤作品を今一度見直そうと考えた次第です。

その手始めに選んだ映画が今回の「生きものの記録」です。
黒澤映画としては娯楽性が低い事からかマイナー作品のひとつに数えられるであろう本作なのですが、その内容たるや前年に公開された「七人の侍」にひけを取らないほどの濃い作品となっています。

簡単にストーリーを要約しますと……水爆実験の報に生命の危機を感じた主人公の老人は独断のもと、家族の反対も聞かず全員でブラジルへ移民しようとして失敗します。
頓挫させたものは自分の家族、及び社会と云う枠組みでした。絶望と自らへの悔恨の末に発狂した主人公は精神病院の中で初めて晏如の地を得る……と云うものになっています。

非常に重いテーマを持ち、主人公の取るエキセントリックな行動が不自然だとする批評も多く見受けられます。見終わって後味の良い作品とは決して云えません。

しかし後味が悪いとするには語弊があります。鑑賞後に残る重苦しさは主人公が劇中で闘ったジレンマを観客である私たちが共有した証拠であると考えられるからです。
本作が掲げるテーマの第一義はこれジレンマに他ならないと思います。正しい事を為そうとしているのに周囲が認めてくれないばかりか、最愛であり最大の理解者たる筈の家族が足許を掬う……社会が法律が自らの財産でさえ消費するのを許容してくれない……檻倉の虎となった主人公はがんじがらめの中で藻掻き苦しみ咆哮し、遂には狂人となってしまうのです。

主人公は70歳の老人なのですが、演じたのは当時35歳の三船敏郎です。抑えてはいても内面からギラギラとした力道感が溢れて来るようです。黒澤明も映画監督として油の乗り切っていた45歳でした。
抑えている力が強ければ強いほど思うようにならないジレンマは激しくなります。これが本作を見終わった後に感じる重苦しさと云う疲弊感に繋がっているのではないでしょうか。
軽い気持ちで鑑賞しようものならば徹底的に打ちのめされてしまう強い作品だと云えるでしょう。前作である「七人の侍」のダイナミックな開放感に充ちた活劇を期待していた当時の観客が不満を募らせたのも納得出来ます。


今回久し振りに「生きものの記録」を観ての感想なのですが、やはりと云うか何と云うか、こてんぱんに打ちのめされました。
脚本や映像、編集と云った技術的な完成度はもとより、とにかく精神に応えました。今回私が改めて学んだ事柄は、自らが正しいと思った道ならば他人を埒外に置いても正しい道とせよ……に他なりません。例えその結果が狂人であるとしてもです。

もし自らが信じられず迷走していると感じている方があるならば、是非とも本作と向かい合って見る事をお奨めしたいと思います。真面目であればあるほど真摯な山彦が返って来るかも知れませんよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/10

1:144 シャア専用ザク

06s01_2

定額給付金で購入した旧キットのシャア・ザクを作って見ました。

1:144シャア専用ザクは1980年9月に¥300で発売されたプラモデルとなっています。
ガンダム(1:144と1:100)、量産型ムサイ艦に次ぐシリーズ第4弾キットであり、ジオン軍のモビルスーツとしては初めてプラモデル化された歴史的キットと云えますね。

現在では様々な縮尺の素晴らしいザク立体物がありますので、今回は敢えて無粋な改造などをせずに、旧キットの味わいを消さない方向で制作したいと思いました。

それでも出来の悪いとされている旧キットですので、ポイントを絞った改修だけを自分に許してみます。
具体的には「肩の八の字カット」と「頭部モノアイガードの透明パーツ化」、あとは四肢の付き方を変更する……以上三点です。

「肩の八の字カット」……これは80年代ガンプラシーンに於けるザクの改修方法として最も有名なものとなっています。
当時のガンプラは可動関節を組み込む都合上からなのか、大概にして肩幅が広すぎました。
この欠点を克服するのが、肩パーツを上部に行くに従いすぼめるように切り取る「八の字カット」と云う技法です。簡単な工作の割に効果の高い改造方法として一世を風靡しました。

「頭部モノアイガードの透明パーツ化」……これはどちらかと云うと1:100キットで多く見られた改造方法でした。
透明パーツや金属部品などの他マテリアルを使用すると云うだけで、なにか難しい事をしていると云う錯覚に子供心が浮き立ちました。

「四肢の付き方を変更」……これは近年旧キットを作るモデラーの間で当然として行われている技法です。
(私がこの制作方法を初めて知ったのがppkさんの作例だったので、以後勝手に「ppk組み」としています)
マスターグレードシリーズが発売されるまで長く出来が悪いとされていた旧キットなのですが、パーツ個々だけを見ればアニメの雰囲気を上手く捉えた絶妙な出来映えだったのです。
しかし、それを悪く見せていたのは棒立ちを前提とする元々のメカデザインと、練り込まれていなかったプラモデルとしての可動範囲の狭さに他なりません。

と云う訳で、上の画像が四肢の付き方を変更したものとなっています。
肩の八の字カットに伴い腕パーツ自体を若干上方向に移動させ、足をガニ股気味に開いて見ました。たったこれだけでも見栄えがかなり良くなったと思いますが如何でしょう?

太腿の内側にパテを盛っていますが、これは股を開くとスカートとの間に隙間が出来てしまう為の施策ですので最低限必要な改造となってしまいました。

握り拳はキットのままだと流石に辛いので、キットパーツにパテを盛って削り出しました。殆どディティールを入れない事で旧キットのイメージから逸脱しないようにしています。

動力パイプはまだ付けていないのですが、キットのパーツを使おうか金属スプリングにしようか悩んでいる状態です。
モノアイガードは或る程度塗装が進んでから付ける予定となっています。


私はファーストガンダム世代なので、やはりザクは旧キットのプロポーションがしっくり来ますね。最近のマスターグレードシリーズは文句なしで格好良いと思いますし、プラモデルとしても高い完成度を有していると肯えるものの、ザクじゃないザクに見えてしまっているのも確かです。
最近ではネット上やモデルグラフィックス誌などで旧キット再興の兆しを読む事が出来るのも、そのように考えている方が多いと云う証拠でもあるのでしょうね。
それ以上に複雑化してしまったガンプラに皆が疲弊している事実問題があると思います。

たまには肩肘張らずに簡単な旧キットを作るのも楽しいですよ。郷愁の中に忘れていた新鮮を感じ取る事が出来ますし。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年7月 | トップページ | 2009年9月 »