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2010.08.17

招きカエル

Cimg5461_2ふと立ち寄った¥100ショップで一目惚れして購入しました。
造形としてはかなり適当だし作家性も感じられない粗悪な量産品なのですが、見ていて心を和ませてくれる魅力に充ち満ちています。

私は小説や映画にしても作家性を重んじて鑑賞する事にしています。
作家性とは即ち一創作者の変遷記録と云えるでしょう。一作家の持つ思想や技術が作品ごとにどのように発展成長して行くのか、または他人から見て如何に退嬰せざるを得なくなって行くのか……を見て考えさせられる訳です。

とは云うものの最近では娯楽性を追求させられるあまり作家性を感じさせてくれる創作者はほぼ皆無ですけどね。また独自のテーマは持っていてもそれを発展させられない作家が殆どだと云えます。

私の浅い経験と研究からすると、或るひとつの思想を追求すると云う事は、これ即ち「死」に直結しているのではないかと思えるのです。
死を賭してまで脳を齷齪させる事が潔しとされていない現代ではありますから、作家性を感じさせてくれる創作者が少ないのも道理なのでしょう。

だからと云って娯楽性を充実させてくれるような新技術を開発する逸材も見当たりません。まあ過去を見渡しても映画の世界で云えばエイゼンシュテイン、ヒッチコック、黒澤明など数える程しか存在しないのだから当然なのかも知れませんが。

私は最近の映画やテレビドラマ、音楽などの低級な創作態度には「悪」を感じ反吐を催します。二次利用、三次利用を見越した損をしないソフトウェア供給からは浅薄をしか生み出さないでしょう。その浅薄のみで育った創作者たちは浅薄の出涸らしか、それ以上の浅薄を垂れ流して行くのです。
逆を云えばこれが文化芸術の安寧である事も頭では分かっています。インターネット普及による情報伝達の広範化即効化は新たなルネッサンスを生み出し難くしている事でしょう。日々ちいさな何かが小さいままで弾けてしまうのですから大きな爆発が起きないようになっているのです。これが良い事なのか悪い事なのかは分かりません。分からないものの何か物足りなさだけを感じてしまう……これは現代人が当分抱える事になるだろう脳の宿痾なのかなとも思っています。明治中期以降の文化人が抱いていたアイデンティティの喪失に近いような気もします。

それでもこうして作家性に乏しい「招きカエル」は私の心を癒してくれているのです。どうしてなんでしょうね、この大きな矛盾……。

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