My Favorite Game 100 ファミリーコンピュータ編 3

●ギャラクシアン
ナムコ 1984年9月7日発売
ナムコが家庭用ゲームレーベル「ナムコット」としてファミコンへ参入した第一弾ソフトです。
原作であるアーケード版が発表されたのは1979年ですので、「ギャラクシアン」自体は既に過去の作品と云う印象で迎えられた感は否めません。それでもナムコが参入した事実は私たちに夢を与えてくれる朗報でした。アーケードで現在稼働しているアレが出るんじゃないかコレも出るんじゃないかと色めき立ったものです。
ビデオゲームが際限なく発展して行く最中に移植された為に時代後れと云うレッテルを貼られた本作ですが、誰が何と云おうと自社初の大ヒット作品「ギャラクシアン」を最初に持って来たナムコには敬意を表したいと思います。
アーケード版の記事はコチラです。
http://babsika.cocolog-nifty.com/okiniiri/2004/12/post_8.html

●デビルワールド
任天堂 1984年10月5日発売
任天堂ファミコン初のオリジナルキャラからなるアクションゲームですね。企画は宮本茂さんだったと思います。
時代後れになりつつあったドットイートタイプのシステムに様々なアイディアを盛り込んだ佳作となっています。二人同時プレイが可能で「マリオブラザーズ」と同様に協力プレイしても良し、殺し合い(実際には邪魔程度)プレイもまた許容されています。
遊んでいてなかなか面白いゲームなのですが、良く出来た作品とは云えませんね。ドットイートタイプと云うもともとが苛々するゲームシステムであるのに、自機がアイテムを入手していないとドットを食べられないのが悪い部分です。強制的にスクロール方向が変化して行く事と合わさってテンポが悪くなってしまっています。とは云うものの毎日弟と飽かず楽しみながらプレイしていました。
スクロールを指示するのがボスであるデビルで、直接攻撃して来ないところがドンキーコングのコングと同じ役割を担っています。デビルが履いている赤ブリーフ同様かなり斬新な仕様ですね。後継作品が現れていない事から現在でも不思議なゲーム性を提供してくれています。

●F1レース
任天堂 1984年11月2日発売
ラスタスクロールによる疑似3Dを用いたレース物です。本作は当時の少年たちから絶大な支持を受けていました。少なくとも私の回りでファミコンを所有している皆が必ず購入していたほどです。この当時レースゲームの最高峰は疑うまでもなくナムコ社から82年に発表された「ポールポジション」でした。そんなポールポジションのような3Dゲームが家庭で楽しめる……と云う意味合いが強かったと思います。私たちのような昭和40年代生まれの男子はスーパーカーブームの洗礼を受けて育った世代ですので、F1やスポーツカーには特に目がありません。
ゲーム内容もファミコンとは思えないほどの素晴らしい出来映えを誇っていました。美しい3Dグラフィックスが凄まじいスピードで迫って来るのですから夢中にならない筈がなかったのです。コントローラーを握る手と体が自然に左右へ傾いていた事でしょう。
しかしレース物にタイムアタックと云う概念がなかった為に飽きが早かったのも事実です。一過性のブームは流行熱のように直き冷めてしまいました。
トータル売上152万本。

●パックマン
ナムコ 1984年11月2日発売
ナムコットシリーズ第二弾はキング・オブ・ビデオゲーム「パックマン」でした。とは云うものの原作であるアーケード版が発表された1980年から既に4年が経過していました。当時のゲーム少年たちからすれば今更感の漂うタイトルであったのも致し方ありません。販売本数48万本と云う数字もそんな印象を如実に物語っていると云えるでしょう。それでもプレイすれば面白いこと相違なくmy libraryに加えて置きたい一本でした。

●ゼビウス
ナムコ 1984年11月8日発売
大本命の登場です。原作であるアーケード版の発表(1983年2月)から未だ続いていたブームはファミコン版の発売でピークを迎えたとしても良いと思います。ファミコン本体の普及にも一役買い初の100万本突破ソフトとなりました。トータル売上では127万本。
私の家庭もこのタイミングで本体を購入したのですが、これはゼビウスを遊びたがっていた弟たっての希望からに依るものでした。私はと云えばアーケード版を遊んでいたので移植版ゼビウスには大して興味がなかったと云わざるを得ません。それでもなかなか上達しないアーケード版の練習用としては良いかなと思っていました。
実際にファミコン版を遊んで見ると良く出来た移植だと感じられました。白いソルバルウや移動しないアンドア・ジェネシスに違和感を覚えたものの、弟と一緒に日夜楽しんでプレイし続けました。十字キーの押し過ぎで左手親指はぺちゃんこになり、そこには十字キーの跡まで印刻されていました。重ねてアーケード版も遊んでいた為にソルの位置が混合されて困ったと云う記憶もあります。
アーケード版ほどの完成度は有していないものの、「タイニー」が冠に付かないファミコン版ゼビウスは家庭で遊べる最先端のエンターテイメントだったと云えるでしょう。なんだかんだ云いながらも総プレイ時間ではアーケード版以上に遊んでいたかも知れません。
そうしてやや熱の冷め始めた頃に「コンプティーク」誌に例の無敵コマンドが掲載されたのです。このスクープはゲーム業界を揺るがす一大事件とも取れました。私個人の印象からすると、公にしてはいけないタブーを雑誌媒体が世間に顕わとしてしまった……と云うものでした。
コンプティーク誌が増刷を繰り返し重ねても本屋では常に売り切れ状態にあったそうです。それだけ衆目が集まったショッキングな出来事だったのです。
無敵コマンドとは云い条、実際にはデバッグモードの消し忘れだったようで、自機ソルバルウの当たり判定をなくす以外に、難易度変更やエクステンド設定の項目があります。
この隠しコマンドの発見によりファミコン版ゼビウスの寿命は完全に尽きてしまいました。ゼビウスの持つリアルな世界観がプログラムから為る虚構であったと気付かされた瞬間でもあったのです。せめて無敵設定の項目さえなかったら……と今でも残念に思ってしまいます。
アーケード版の記事はコチラです
(1)http://babsika.cocolog-nifty.com/okiniiri/2004/11/post_14.html
(2)http://babsika.cocolog-nifty.com/okiniiri/2004/11/post_19.html
(3)http://babsika.cocolog-nifty.com/okiniiri/2004/11/post_20.html
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コメント
自分もゼビウスが遊びたくてファミコンを買いました。
本体と同時に買ったのは、ゼビウスが品切れだったのでパックマンとマッピーでしたが。
無敵コマンドには自分も嫌な思い出があります。
当時、ナムコットサマーカップというハイスコアを出して写真に撮って送ると
景品がもらえるキャンペーンをやっていたのですが、
そのチャレンジしている最中に無敵コマンドが明らかにされてしまったのです。
無敵コマンドを使えばゲームオーバーにはならないので、ゲームオーバーした時の写真を撮ればいいのですが、
一億点を目標にやっていたので、締め切りまでに終わりそうになかったのです。
結局、自機がやられて残機表示が出ている所を撮って送り、無事に景品をもらうことができました。
こういった情報は、イベント終了までは公開を自粛してほしいと当時思ったものです。
投稿: nao | 2011/02/07 19:12
naoさんコメントありがとうございます。
サマーカップキャンペーンは初めて聞きました。そのようなイベントもあったのですね。
ゼビウスの発売は当時まさに一大イベントみたいな感がありましたからねえ。これを機に本体を購入した方も多かったでしょうね。
無敵コマンドもセンセーショナルでした。コマンド自体も入力がなかなか難しくて苦労した記憶があります。
投稿: バブシカ | 2011/02/09 09:01