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2011.09.16

My Favorite Game 100 ファミリーコンピュータ編 43

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●たけしの挑戦状
タイトー 1986年12月10日発売

歴代クソゲー十指に数えられるであろう作品として有名ですが、ビートたけし氏のネームバリューにより売上80万本のヒットを記録しています。
実際の中身はと云うと……やはりクソゲーである事に変わりません。本作の制作過程に於いてたけし氏自身が深く関わっている事は有名です。当時メーカー名や内容は伏せられていたものの、氏は自身のラジオ番組でゲームの企画に携わっている事実を何度となく口にしていました。その口調からは新しい仕事に対する責任と自信、玩具を与えられた子供の嬉々とした感情が同時に伝わって来たものです。

現在では一流映画監督としての地位を築いている氏が、それ以前に関わった初めてとも云える形として残るクリエイティブな仕事であったとして良いでしょう。そのような欲求があったればこそのゲーム制作への介入だったのだと思います。

しかし完成した作品は押しも押されぬ歴代十指に残るクソゲーであった。
これには当然とも云える理由があります。氏がラジオで語っていたゲームの制作方法は、アイディアの羅列にのみ終始していました。これまでにないゲームを作ろう、今迄あったゲームの常識を覆そうとする姿勢は、業界へのアンチテーゼとして立派な行いだったと思います。
ただ、それを実行しようとする為にはビデオゲームの歴史を知っていなければなりません。ビデオゲームとは一本の根幹のみで楽しませるエンターテイメントなのです。根幹とは即ちゲームシステムに他ありません。ポンからインベーダー、ヘッドオンからパックマンへと変遷して云ったゲームシステムの理解が重要なのです。ゲームシステムの理解なく付け足されたアイディアは蛇足となるかゲームバランスを崩壊させる結果をしか生まないでしょう。

たけし氏は本業に於けるお笑いでも王道を揶揄するカウンター勢力の旗手として名を馳せた方だと思います。既存のワンパターンを善とする芸に冷水や熱湯を浴びせるかのような過激さに私たちは痺れたものです。
たけし氏は、「挑戦状」制作以前に当時一大ブームを巻き起こしていたたファミコンへ興味を示し一部のゲームを夢中で遊んでいた事実もあります。「ポートピア連続殺人事件」には特に感銘を受けていたようで、テレビで犯人をバラしてしまったのも有名な逸話ですね。

この事から察するに氏はアドベンチャーゲームのように物語性の高い作品を意識していたのではないかと思います。氏がゲーム制作に携わる以前に「挑戦状」は既に横スクロールのアクション物として企画され制作も始まっていたのではないでしょうか。そこに氏がアイディアを持参してリスタート。制作期間の問題からゲームシステムの改変は不可能だったので、横スクロールアクションにアドベンチャー要素を加えて行った。熱心にも日々持ち込まれる荒唐無稽な発想のアイディア。「ビートたけし」と云うビッグネームに尻込みをして操舵出来ないゲームプロデューサー。作品はゲームシステムにそぐわないアイディアを羅列するものとなり歪曲するだけして行った……私はこのように演繹します。

このような工程であったかは分かりませんが、結果としては同様な制作方法であったのではないでしょうか。これは以前書いた「MOTHER 3」に於ける糸井重里氏と任天堂の関係とも同じくしています(どちらとも私の想像の域を出ていませんが)。

私は個人的に芸人ビートたけし氏の大ファンであるのですが、映画を含めた氏の映像作品には敬意を表せない立場にいます。詰まるところ氏の映画も「挑戦状」と同様な制作態度から作られているようにしか見えないのがその理由です。
映画の根幹とは間違いなく「シナリオ」なのですが、氏の作品はそのシナリオに力がありません。大雑把な梗概に小さなアイディアを後から乗せて行き、それなりに綺麗な映像で形を整える……これが北野たけし作品の特徴だと思います。
それでも映画として楽しめるものとなっていて評価されているのは、映画制作がプロフェッショナルの集団で作られているからでしょう。制作、脚本、カメラ、照明、記録それぞれの部門にプロが存在し、大きなリスクと多くのマンパワーによって完成へと漕ぎ着けるのです。
そのような制作過程に於いて、たけし氏の奇抜な発想や独善的な表現が一般レベルへと均されて行くのです。これにより見るに堪える作品が完成する。

私はこれを「5/10理論」としています。
どれだけ斬新で素晴らしいアイディアを几案したとしても、具体的な形へと行き着く間にそれが平均的なものへと落ち着いてしまうと云う意味です。
本当に斬新なアイディアを形とする為には「20」の発想を用意しなければなりません。そうすれば「10」の発想を具体化出来る訳です。
発想力は無限の力を欲しいままに出来ますが、表現力には限界があると考えるからに他ありません。云い変えれば個人の行動に制限は付けられませんが、団体行動には規律が必要になるとも云えます。
規律とは中庸であり粗暴と怯懦の間に存在する客観的な「徳」であるのです。

スタッフ関係者への気遣いを心掛けるたけし氏の作品には、内容とは別にこのような「美」が感じ取れるような気がします。氏の作品は彼のものではありますがスタッフの作品でもあるのです。

当時の少ない開発メンバーで作られた「挑戦状」には、たけし氏が敬意を表せるスタッフも、斬新とは云えないただの我儘を矯正し得るプロデューサーも存在しなかった。そうして何よりも氏がビデオゲームを理解していなかった……。歴史的クソゲーは生み出されるべくして生まれたとするべきでしょう。

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