2004.11.30

それから

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明治42年に朝日新聞へ連載された夏目漱石42歳の時の小説です。

前年に書かれた「三四郎」、そして本作、後に書かれた「門」が連作となっていて、漱石の青春3部作と呼ばれています。
「三四郎」では大学生の実る事がない淡い純愛がテーマとなっています。「それから」では高等遊民である青年が、昔愛してはいたものの友人に周旋してしまった女性を奪い取るまでが描かれています。そして「門」では地位、名誉、財産を失った平凡な男の日常と、悩みから解脱しようとして失敗する様が淡々と綴られて行きます。
以前紹介した「こころ」は青春3部作の解答編と云っても良いでしょう。

連作と書きましたが、実際には登場人物が一致している訳でもなく、内容が繋がっていると云う事でもありません。ただテーマとしての流れが存在しているのみなのです。

「いろいろな意味においてそれからである」
これが朝日新聞の連載前に漱石が掲げた予告の言葉です。

なんて斬新な題名の付け方なのでしょう。私は「門」を読んでいる途中でこの事実に気付いて大変感銘を受けました。また同時に目から鱗が落ちました。
題名とは作中の主となる人名や地名、また中身を云い表す具体的な単語であると思っていたのです。それに比較して「それから」と云う題名の何と抽象的な事でしょう。それでいて的確に内容を把握している言葉としての力に驚きました。ここに表現の可能性を授かったと云っても良いと思います。

漱石自身は題名には大した拘りを持っていなかったそうで、「門」に至っては門下生にお任せして放って置き、新聞の広告を見て初めていま自分の執筆している小説の題名を知った……と云う逸話も残っています。

しかし漱石の小説は中身を伴った素敵な題名が多いと思います。「吾輩は猫である」を始めとして「琴のそら音」「草枕」「行人」「道草」「幻影の盾」「永日小品」「夢十夜」などなど。「彼岸過迄」はお彼岸辺りまで執筆しようと思ったからだそうですが。

「それから」は若い人にお奨め出来る小説であると思います。主人公である長井代助の冷静な態度と独善的な思想は当時の書生たちにも大きな影響を与えました。武者小路実篤や菊池寛などがそうであったようです。ニヒルな芥川龍之介はその影響に感化された人たちを揶揄したりもしています。
しかし長井代助は社会的な地位から抹消される事を承知で人妻を愛して我が物としてしまうのです。それからの消息は「門」に詳しいと云えます。

あまりにも有名であり過ぎるが為に具体的には知られていない夏目漱石ですが、日本近代文学史に確固たる足跡を残した巨人である事には変わりありません。今の文学にはない豊富な語彙、流麗な文体からは学ぶべきものが多く含まれています。もし機会がありましたら一読して見る事をお奨めします。

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2004.11.19

電車男

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いま話題の書籍で20万部ほど売れているようです。出典は2ちゃんねるの独身板スレッドからだそうですが、その存在すら全く知りませんでした。職場の女性(2ちゃんねらーではない)に奨められて軽い気持ちで読み始めたものの、これが大変面白くすぐに読了してしまいました。

簡単に物語を説明すると、アキバ系オタクの青年が電車内で暴れる酔っ払いから女性を救ってあげた事で縁を持ち、以後2ちゃんねらーの助言を受けながらエルメスと呼ばれるその女性に告白するまでの成長過程を綴ったものとなっています。

こう書いてしまうと陳腐に思えますが、日々書き込まれて行く発言と行動の結果が合わさる事でリアルなライブ感に溢れていて読む者を飽きさせません。

私は2ちゃんねるを特別見る方でもないのですが、幾つかのブックマークしたスレッドをたまに覗く程度には利用しています。最初はかなりの嫌悪感を催しましたが、現在では免疫が付いたからか普通に読めるようになりました。
「電車男」には未だ判らない単語や絵文字が随分とあったのですが、上手い流れで編集されている為か労力を使う事もなく楽しめました。普段2ちゃんねるを見ない女性から奨められた訳ですから当然と云えば当然ですね。

同様に私から職場の大学生にも奨めては見たものの、こちらは鼻で軽くあしらわれてしまいました。2ちゃんねるに対する正しい偏見と今迄の実績を考えればこれも当然と云えるでしょう。
しかし、本書を恋愛と成長物のテクストとして捉えると、2ちゃんねるだからと云う理由で遠ざけてしまうには勿体ないとも思ってしまいます。現代のノンフィクションとして非常に優れている名作だと位置付けてしまっては良く云い過ぎでしょうか。文学低迷が問われて久しい現在に生まれた新しい形の文学とも受け取れます。

もし多少なりとも興味をお持ちの方でしたら購入してみる事をお奨めします。360頁以上もある本書ですが夢中の内に読了してしまう事と思いますよ。

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2004.10.20

暗夜行路

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短編小説で有名な志賀直哉唯一の長編物で、大正10年から連載が始まり紆余曲折を経て昭和12年に完成した日本文学史に残る名作です。

この作品を一言で説明するならば、「運命の徒に翻弄されるべく産み落とされた一人の男が辿る精神史」と云えるでしょう。
主人公である時任謙作は、祖父と実母の間に生を受けたと云う呪われた事実から逃れようと煩悶し輾転と苦しみ続けます。仕事に邁進しようと努めても楽して得られず、自暴自棄になり肉欲に耽溺したりもしますが、それも根本の解決とは成り得ません。唯一の人と決めて偕老同穴を願った愛する妻もその血縁に乱暴を受けてしまいます。不可抗力としての不運が主人公を襲い続けます。精神の衛生を計る為に籠もった山中で病気を患った主人公は、死を目前にして初めて悟りにも似た達観を得る…と云うのが簡単な粗筋です。

悲劇の代名詞である芥川龍之介本人が「彼に較べたら私の人生など大した事はない」と死ぬ直前まで持参し続けた事ででも有名な作品です。

暗夜行路は小説として見て必ずしも完成度の高い作品だとは思えないのですが、恵まれない人間が健常を取り戻そうとする過程を克明に描いていると云う点で優れた作品となっています。
汚穢の地である現代に生きる私達に何らかのヒントを与えてくれる一冊と云えるのではないでしょうか。


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2004.10.14

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

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今年の9月にやっと発売されたJKローリング作のシリーズ第5弾です。

子供の文学離れが甚だしい昨今、情操教育としての材料には打って付けの作品だと思います。
文章量が少ない訳ではありませんが一気に読み通したくなる力を持っていますし、文字を装飾する事によって視覚的な効果を作り出すなど色々な工夫もなされています。

作品の構成は厳密ではない推理小説の態を取っています。導入、伏線、謎、事件、説明と云うのが全作品の変わらない大まかな流れです。このサスペンスフルな構成が読み手を飽きさせない理由でしょう。子供だけならず大人にも絶大な人気を誇っている事にも頷けます。

しかし今回の「不死鳥の騎士団」は失敗作ではないかと思われます。それが云い過ぎだとしても、今迄の作品では上手く機能していた構成が、マンネリ化もあってかギクシャクとした不協和音を立てているような感が拭えません。
それと方々でよく云われていますが、今回のハリーの性格には棘があります。全てがマイナス志向の主人公と云うのも児童書と云う位置付けの本書には不釣り合いに思えます。思春期だとする設定らしいのですが、どうも釈然としませんね。心理描写も中途半端ですしどちらかと云うと作者の苛立ちを感じられます。

それよりも気になるのはやはり物語の構成です。起承転結となるべき筈が、起承承結となっているのです。読んだ方なら分かると思うのですが、1300ページもあるうちのラスト150ページでしか事件が起こっていないのです。しかも突発的な印象がある為か最後に味わえる筈のカタルシスも感じられません。そうして長々としたダンブルドア校長の謎解きが始まるのです。

ハリー・ポッターシリーズは全7巻で終了する事が予定されていますので、この5巻は最後に繋げる為の難しい位置にある事は想像出来ます。その為にハリーの性格ともども無理が出てしまったのではないかと云うのが私の意見なのですが間違っているでしょうか。
このような長大な物語ともなると場合として作者の力量が追い付いて行かない事もあると考えられます。他のメディアで云うと「ドラゴンクエスト」などが良い例でしょう。どうしてもシリーズの途中などで破綻が生じてしまうものなのです。余談ではあるのですが、潔癖な芥川龍之介が長編を諦めた理由もそこにある思います。

しかし、シリーズが終了した時に「不死鳥の騎士団」の持つ意味が判然とする場合もあると思うのです。作者としてあの時点で矯正しなければこの大円団には結び付けなかったのだな…と云う意味なのですが。

私もハリーポッターシリーズの一ファンとして早く続編が読みたいと云うのもまた正直な気持ちです。物語の流れから察すると読後感の悪いのは「不死鳥の騎士団」だけだと思います。以前の4冊は勿論の事ここから繋がる2冊は、きっと読者を童心に連れ戻してくれる名著として語り継がれていく事でしょう。
未読の方はこれだけ夢中にさせてくれる小説なのにリアルタイムで読める可能性を自ら逃している事になりまので、早めに読んでしまう事をお奨めします。第6巻がなかなか出版されない事を翻訳者のせいにしてやきもきしてしまう事を請け合います。

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2004.10.09

こころ

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大正3年朝日新聞に連載された夏目漱石が48歳の時の小説です。

私がこの作品を読んだのは18歳の頃だったと思います。文学少年であったのでそれまでにも多くの書物に慣れ親しんでいたのですが、この小説を読んだ時の衝撃は非常に大きく今でも決して忘れられません。
漱石と云うと「吾輩は猫である」「坊っちゃん」が一般的には有名で代表作として挙げられる事が多く、私も類に漏れずそう思って疑いもしませんでした。
しかし「こころ」以降買い集めた中期以降晩年の小説を読んで、その考えと印象の間違っていた事に気付かされました。
いま見ると「猫」は読書を楽しませようとしただけで続けた戯作であり、「坊っちゃん」は田舎者を馬鹿にしたかった漱石の皮肉をしか読み取れないのです。「坊っちゃん」に単純な勧善懲悪を見て痛快だとする評価は漱石を知らない人が語る浅墓でしかないでしょう。

「こころ」は精神の潔癖を説いた小説です。
偶然先生との知己を得た「私」が語り部となり、先生の過去を遺書と云う形で告白される形式が取られています。これから読む方の事を考えて詳しい内容には触れませんが、脂が乗り切っている頃の漱石の作品であるので、文章、構成とも完璧な高みで融合されていて読み手を飽きさせません。先生が自らを裁断しなければならなかった意味も自然と胸に入って来るようで無理を感じさせないのは文豪の力量でしょう。

現代に生きる私達に足りないものは日本人的な道徳なのではないでしょうか。精神が汚辱されるのであれば死を選ぶ覚悟さえ厭わない。明治の時代にはあった朱子学から独自発展した武士道の精神を取り戻す為にも、一般的に読み易いこの小説を読む事を強くお奨めしたいと思います。

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